日本住血吸虫症は、こんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが、日本では1978年に発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず、1996年には山梨県知事の天野建によって「地方病終息宣言」が出された[25]。
マラリア「マラリアの歴史」および「戦争マラリア」も参照マラリア原虫を媒介するハマダラカ
単細胞の寄生虫であるマラリア原虫が赤血球に寄生して起こる感染症で、40℃前後の発熱や悪寒などの症状をともない[26]、頭痛や吐き気をもよおすこともある。熱系により、三日熱、四日熱、定期性のない熱帯熱に分けられる[26]。熱帯・亜熱帯地域に多く、日本では「おこり」とも呼ばれた[27][注釈 4]。
マラリアの起源は古く、農耕生活の始まりにさかのぼる[15]。ヒトに感染するマラリア原虫には6種あり、うち5種はゴリラやチンパンジーなどアフリカ産霊長類に起源を有している[15]。のこり1種は、2004年にボルネオ島で見つかったサルマラリア原虫で、カニクイザルなどアジアに棲息するマカクを自然宿主としている[15]。
カの中でハマダラカの一部の種だけが病原体を媒介する[26]。メスのハマダラカが感染者の血液を吸い、別の人を刺すことによって広がる。通常、カに刺されて10日ないし14日の潜伏期間を経て、発作状の発熱がある[26]。効果的なワクチンはないが、抗マラリア剤で治療できる。従来、長きにわたってキニーネが特効薬とされてきたが、のちにアテブリンやプラスモヒンが開発された[26]。第二次世界大戦後はクロロキンの使用が増えている[26]。
マラリアは、約1万年前以降、ヒトの生存に大きな影響を与え始めたが、これは新石器革命の開始の時期とほぼ一致している[28]。4800年前ないし5500年前の古代エジプトでつくられた複数のミイラからはマラリア原虫のDNAが検出され、ツタンカーメン王のミイラからもマラリア原虫の一部が見つかっている[28]。また、マラリア予防の目的かどうかは不明であるが、古代エジプト最後の女王、クレオパトラ7世が蚊帳の下で寝ていたことが確かめられている[28]。なお、「東方遠征」で有名な古代マケドニア王国の王アレクサンドロス3世については、従来はマラリアによる死亡と考えられてきたが、近年、マラリアが死因でないとする学説が登場している(詳細は「ウエストナイル脳炎」節を参照)。
中国最古の医学書『黄帝内経』にはマラリアとみられる疾病の診断法と治療法が記されており、インドでは最初に農耕がはじめられたインダス川流域から高温多湿のガンジス川流域へと耕地を拡大していった過程で流行したとみられる[28]。ヨーロッパでは、地中海地域で流行し、古代ローマでは人口激減の一因にもなった[28]。17世紀から18世紀にかけてはヨーロッパ各地で数回にわたり流行が繰り返された[28]。
古代ローマ帝国の軍人ゲルマニクス、10世紀の神聖ローマ帝国の皇帝オットー2世、平安時代末期の平清盛[29]、堀河天皇、ルネサンス期の文豪ダンテ・アリギエーリ、室町時代の僧一休宗純、日本陸軍の諜報員であった谷豊(ハリマオ)、イタリア出身の自転車選手ファウスト・コッピなどはマラリアによって死去した人物とみられている[注釈 5]。