感染症の歴史
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しかし、2003年、アレクサンドロスの死は西ナイルウイルスによるウエストナイル脳炎ではなかったかという学説が登場した[64][注釈 10]

その根拠は、古代のバビロンが現代の西ナイルウイルスの流行する分布域に属していることのほか、1世紀から2世紀にかけて活躍したギリシア人著述家プルタルコスの『対比列伝』(「プルターク英雄伝」)[65] のなかの以下のような記述である。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

アレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に、(中略) 城壁のところまで行くと、多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあい、その内幾羽かが大王の足元に落ちた。

公的な記録によれば、アレクサンドロス大王は高熱を発してずっと熱が下がらず、そのあいだ激しくのどが渇いて葡萄酒を飲み、うわごとがはじまって、発熱後10日目に亡くなったといわれる。これらの症状は、ウエストナイル熱やウエストナイル脳炎の症状と矛盾しない[64]

動物媒介性の感染症の新たな出現や伝播は、飛行機による人類や文物の大量移動を基礎として、たとえば近代化工業化地球温暖化などによって媒介動物である蚊の生息条件が変化して分布域が変動・拡散し、また、その宿主の生息域が変動するなどの事象によっており、「感染症の生態学」と呼ぶべきひとつの研究領域が成り立つような条件を生じさせているが、他方では、アレクサンドロスの死因のように、過去にさかのぼって史実の解釈さえ再検討の俎上に乗せる可能性を有しているのである[64]
日本脳炎アジアにおける日本脳炎の発症分布(1970年-1998年、CDC資料)詳細は「日本脳炎」を参照

日本脳炎(Japanese encephalitis)は、日本脳炎ウイルスによる脳炎であり、日本や東アジア、東南アジアを分布域とする。

感染者の発症率は0.1パーセントから1パーセントと推定されており、そのほとんどが不顕性感染である。日本での媒介者は主としてコガタアカイエカといわれるが、熱帯地域では他の蚊も媒介する。潜伏期は6日ないし16日間とされ、高熱を発して、痙攣や意識障害におちいる。発症してからは対症療法にたよるしかない。発症した場合の致死率は10ないし20パーセント程度と推定されるが、発症者の半数以上はにダメージを受け、脳障害や身体の麻痺などの重篤な後遺症がのこる。

1954年(昭和29年)、日本では不活化ワクチンの勧奨接種が開始され、1965年(昭和40年)には高度精製ワクチンの使用がはじまった。日本での患者は、1967年(昭和42年)から1976年にかけての積極的ワクチンの接種によって、劇的に減少したといわれている。
インフルエンザ詳細は「インフルエンザの流行」および「インフルエンザウイルス#前史」を参照スペイン風邪の患者でごった返すアメリカ軍野戦病院(アメリカ合衆国・カンザス州

紀元前412年、「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスは、すでにインフルエンザと思われる病気の大発生について記録している。

インフルエンザは、1889年に大流行したとき、ドイツの元軍医でコッホの衛生研究所にいたリヒャルト・プファイファーが患者よりグラム陰性細菌を分離することに成功し、1892年に「インフルエンザ菌」と名づけ、これこそがインフルエンザの病原体であると発表した。こののち、インフルエンザの病原体をめぐっては論争が繰り広げられたが、1933年に決着した[66]

最も被害を出したインフルエンザの流行は、スペイン風邪である。1918年アメリカ合衆国の兵士の間で流行しはじめ、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)となり、感染者は6億人、死者は最終的には4000万人から5000万人におよんだ。当時の世界人口は12億人程度と推定されるため、全人類の半数もの人びとがスペイン風邪に感染したことになる。この値は、感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである。死者数は、第一次世界大戦の死者をはるかにうわまわり、日本では当時の人口5500万人に対し39万人が死亡、アメリカでは50万人が死亡した。
新興感染症

新興感染症は世界保健機関(WHO)の定義によると、新興感染症は「かつては知られていなかった、この20年間に新しく認識された感染症で、局地的に、あるいは国際的に公衆衛生上の問題となる感染症」とされている。
エイズ詳細は「後天性免疫不全症候群」、「ヒト免疫不全ウイルス」、および「薬害エイズ事件」を参照レッドリボン

1981年6月にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性4人に初めて発見され症例報告された新興感染症である。ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしい症例はすでに1950年代から報告されており、中部アフリカ各地などで「痩せ病」(slimming disease)という疾患群が報告されていた。1982年7月、この病気はAIDS(後天性免疫不全症候群)と名づけられ、1984年にはエイズウイルスが発見された。


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