感染症の歴史
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結核菌は1882年、細菌学者ロベルト・コッホにより発見され、1943年にはセルマン・ワクスマンとワクスマン研究室の学生であったアルバート・シャッツ(英語版)によるストレプトマイシンなどの抗生物質があらわれて[注釈 7]、結核は完治する病気となって、患者はいったん激減した。

しかし、近年、学校や老人関係施設、医療機関等での集団感染が増加しており、結核治療中の患者は日本だけで約27万人にのぼり、新たな結核患者が年間3万人も増加している。世界保健機関(WHO)の推計では世界人口60億人の3分の1にあたる20億人が結核菌に感染していると発表している[49]。これは、抗生物質の効かない耐性結核菌の発生によっており、「菌の逆襲」[50] とよばれることがある。また、後天性免疫不全症候群(AIDS)との結びつきが指摘され、「今や結核対策はAIDS対策でもある」[50] と考えられるにいたっている。
チフスの流行と識別「チフス」も参照

チフスはもともと、発疹チフスのときに見られる高熱による昏睡状態のことを、古代ギリシアのヒポクラテスが「ぼんやりした」「煙がかかった」を意味するギリシア語 typhus と表記したことに由来するといわれるが、長い間、発疹チフスと腸チフスパラチフスの区別がなかった。
腸チフス・パラチフス詳細は「腸チフス」および「サルモネラ」を参照

腸チフスやパラチフスは、16世紀のイタリアの数学者でもあり医者でもあったジェロラモ・カルダーノが発見者といわれているが、これはともにサルモネラの一種であるチフス菌によるもので発疹チフスとは全く異なる条件下、異なる病原体が原因で起こるもの(サルモネラ症)である。症状が似ているため区別が遅れた。1836年にようやく両者の識別がなされて、別の疾患として扱われるようになった。
発疹チフス詳細は「発疹チフス」および「シャルル・ジュール・アンリ・ニコル」を参照かつらをかぶったニュートン(1689年)

発疹チフスとはコロモジラミが媒介するリケッチアによる感染症で、高熱、せき発疹が特徴である。人口密集地域、不衛生な地域にみられ、冬期、または寒冷地での流行が顕著である。1490年、スペイン兵がキプロス島から発疹チフスをもちこみ、ヨーロッパで流行し、1545年にはメキシコで流行した。

17世紀以降、ヨーロッパの王侯貴族や裕福な中・上級市民の間で頭髪を丸刈りにしてかつらをかぶる習俗が大流行した背景にはシラミ予防の意味もあったという。

1812年ナポレオンのロシア遠征の際にはフランス軍で大流行し、大勢の死者を出した。19世紀の発疹チフスの流行は、コレラとともに労働運動活発化の一因となり、各国は都市の改造や公衆衛生を徹底させるなどの都市政策をおこなった。第一次世界大戦下のロシアでは3000万人が罹患し、その1割にあたる人びとが死亡している。また、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺のための強制収容所内でも大流行した。

フランスの細菌学者シャルル・ジュール・アンリ・ニコルフランス植民地チュニスチュニジア)において風土となっていた発疹チフスを研究し、病院に入院すると感染しない傾向がみられるから院内と院外の条件を比較して、患者の衣服に着目した。ニコルは1928年に発疹チフスの研究でノーベル生理学・医学賞を受賞している。
リケッチア感染症の流行「リケッチア」および「ツツガムシ病」も参照

リケッチア症は、リケッチアという病原体がダニなどの節足動物を媒介として引き起こす感染症である[51]。リケッチアはウイルス同様、細胞外では増殖できず、抗生物質も効かない。リケッチア症には、上述した発疹チフスのほか、ロッキー山紅斑熱日本紅斑熱がある。ツツガムシ(ケダニ)によって媒介され、オリエンティア・ツツガムシ(ツツガムシリケッチア) への感染によって引き起こされるツツガムシ病もリケッチア症に属する[51]
ウイルス性感染症の流行「ウイルスの社会史」も参照
麻疹詳細は「麻疹#歴史」を参照麻疹ウイルス

麻疹は一般にはしかといわれ、麻疹ウイルスによって感染する。感染力はきわめて強く、高熱、咳、鼻水、全身性の発疹をともない、口中にコプリック斑(英語版)と呼ばれる白い斑点ができる[52]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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