14世紀にナスル朝で活躍したイブン・アル=ハティーブはイベリア半島のアンダルス地方における黒死病(ペスト)の流行において、衣類・食器・イヤリングへの接触が発症の有無を左右していることを発見した。これを受けて、イブン・ハーティマ(Ibn Khatima、1369年 - ?)は「感染症は微生物がヒトの体内に侵入することによって発症する」との仮説を打ち立てた[5]。この考えは、16世紀イタリアの修道士で科学者のジローラモ・フラカストロの著作『梅毒あるいはフランス病』(1530年)や『伝染病について』(1546年)により、ルネサンス期のヨーロッパにも広く受け入れられた[6]。フラカストロは伝染病のコンタギオン説(接触伝染説)を唱え、梅毒(Syphilis)やチフス(typhus)という病名の命名者となった。
病原体(病原微生物)について、それを人類が初めて見たのは、形態的には1684年のオランダのアントニ・ファン・レーウェンフックの光学顕微鏡による細菌の観察だといわれる[7]。レーウェンフックの顕微鏡の改良により、細菌を肉眼で容易に観察できるようになった。
1838年に細菌を意味するラテン語 "bacterium" が出現しており、病原体が現在のように判明してきたのは19世紀以降のことであって、フランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホに負うところが大きい。パスツールは、病気の中には病原体によって生じるものがあることを証明し、狂犬病のワクチンを開発した。そしてコッホは、1875年、感染力のある病原体としての細菌である炭疽菌を、光学顕微鏡を用いた観察によるものとして初めて発見し[7]、また、感染症の病原体を特定する際の指針として「コッホの原則」を提唱して近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を打ち出した。日本でも、北里柴三郎が1894年にペスト菌を、志賀潔は1898年に赤痢菌を発見している[1]。なお、主な疫病菌の発見は以下の通りであり、19世紀後半から20世紀初頭にかけての時期に集中している[8]。
病名病原体発見年病原体発見者
ハンセン病らい菌(真正細菌)1875年アルマウェル・ハンセン(ノルウェー)
マラリアマラリア原虫(原虫)1880年シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン(フランス)
腸チフスサルモネラ属菌(真正細菌)1880年カール・エーベルト(ドイツ)
結核結核菌(真正細菌)1882年ロベルト・コッホ(ドイツ)
コレラコレラ菌(真正細菌)1883年ロベルト・コッホ(ドイツ)
ジフテリアジフテリア菌(真正細菌)1883年エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(ドイツ)、北里柴三郎(日本)
破傷風破傷風菌(真正細菌)1884年アルトゥール・ニコライエル(ドイツ)
ブルセラ症ブルセラ属菌(真正細菌)1887年デビッド・ブルース(イギリス)
ペストペスト菌(真正細菌)1894年アレクサンドル・イェルサン(フランス語版)(フランス)、北里柴三郎(日本)
赤痢赤痢菌(真正細菌)1898年志賀潔(日本)
梅毒梅毒トレポネーマ(真正細菌)1905年フリッツ・シャウディン(ドイツ語版)(ドイツ)
百日咳百日咳菌(真正細菌)1906年ジュール・ボルデ(フランス)
チフス(パラチフス)サルモネラ属菌(真正細菌)1909年シャルル・ジュール・アンリ・ニコル(フランス)
光学顕微鏡では観察できない極小のウイルス(virus)の発見は、細菌よりも遅れ、1892年のロシアの植物学者ドミトリー・イワノフスキーによるタバコモザイクウイルスの発見が最初であった[7]。ウイルスによる感染症には、インフルエンザ、後天性免疫不全症候群 (AIDS)、エボラ出血熱、黄熱、狂犬病、重症急性呼吸器症候群 (SARS) 、中東呼吸器症候群 (MERS) 、デング熱、ジカ熱、天然痘、風疹、急性灰白髄炎(ポリオ)、麻疹、咽頭結膜熱(プール熱)、マールブルグ出血熱、ラッサ熱、ウエストナイル熱、日本脳炎、水痘・帯状疱疹、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) などがある。
ウイルスは、代謝系を持たず、細菌のように栄養を摂取してエネルギーを生産するような生命活動はおこなわない[9]。自己増殖できず、他生物の細胞に寄生することによって増殖し、エネルギーは宿主細胞の作るそれを利用し、大きさは細菌よりもはるかに小さい[9]。ウイルスの観察には電子顕微鏡が必要である[9]。
治療法の発見詳細は「抗生物質」、「抗ウイルス薬」、「ワクチン」、および「種痘」を参照フレミング(1881-1955)