愛知郡_(愛知県)
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平城京出土木簡に「尾張国愛智郡草部郷日置里」とあり[14]中区日置神社周辺や大須などの地域に比定される[15]


太毛(おおやけ)

「大家」「大宅」とも書かれた。鎌倉期の文献から、中区古渡町付近が当郷に含まれることが判明している[15]。熱田区も当郷に含まれるとみる説もある[15]。表記の類似から瑞穂区大喜町に比定する説がかつてあったが、これは過誤とみられる[15]。なお当郷は愛知郡東条に属していたことが知られている[15]


物部(もののべ)

記載順から当郷は太毛郷の東にあるとみて御器所周辺に比定される[15]。なお東区筒井に「物部神社」があるが、これは江戸期まで「石神堂」と呼ばれていたものを改称したもので、山田郡との郡境の問題などからこれを式内社の物部神社とみるのは懐疑的な見解がある[9]


厚田(あつた)

「熱田」とも書かれた。熱田神宮周辺に比定するのが通説であるが、瑞穂区付近であるとする説もある[9]。『日本書紀』や『尾張国風土記』逸文に「熱田社」との記載が見える。


作倉(さくら)

南区桜本町付近(江戸期の桜村)を遺称地とみるのが定説である[9]


成海(なるみ)

緑区鳴海町を遺称地とみるのが定説である[9]。現在の豊明市も当郷に含まれていたとする説がある[9]


驛家(うまや)

『延喜式』に「新溝駅」という駅家の記載があり、これは愛知郡内に置かれたものとみられ、驛家郷は新溝駅周辺に存在したとみられる[9]。新溝駅の位置については古渡とする説が有力視されている[9]。なお郷土史家の三渡俊一郎は、「新溝」とは中世の文献に見える「古渡河」(後称「九丁堀」)のことではないかと考察している[9]


神戸(かんべ/ごうど)

熱田神宮領とみて神戸町などの地名が残る熱田神宮周辺とする説と[9]、伊勢神宮領とみて一楊御厨があった中川区内に比定する説がある。なお鎌倉期の愛知郡神戸郷は、熱田区横田中瀬町を含む熱田神宮周辺を指していたことが知られる[16]

この他に以下のような『和名類聚抄』不記載の郷里が木簡などから確認されている。

荒大(あらたい)

平城宮出土木簡に「尾張国愛知郡荒大里」と、正倉院文書に「尾張国愛智郡荒大郷」とある[4]。成海郷に在住したとされる荒田井氏と関連視して、鳴海近傍にあてる説がある[4]。『尾張国内神名帳』に記載のある知多郡「荒太天神」や中世の文献にみられる「知多郡荒尾郷」と関連視して現在の東海市荒尾町に比定する説もある[17]


油江(あぶらえ)

平城京出土木簡に「尾張国愛知郡油口(江)里」とある[4]。『尾張国内神名帳』に記載のある愛知郡「油江天神」があり、近代まで「油江」という小字名が残っていた名古屋市中村区中村町付近と推定される[4]。油江里は後に中村郷に統合されたと推測されている[4]


余戸(あまるべ)

平城京出土木簡に「愛知郡余戸里」とある[4][注釈 13]。比定地は未詳だが、辺縁部の可能性がある[4]


式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社


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