江戸時代以降、尾張は徳川御三家のひとつである尾張徳川家の領域となり、三河は譜代大名、旗本領、寺社領、天領と分割支配された。 明治以降、三河国内の旗本、寺社、幕府領を総括する三河裁判所が設置され、のち三河県とされ、さらに伊那県に編入され、伊那県足助庁が所轄した。その後、廃藩置県にともない、三河に10県、尾張に2県が設置され、三河10県および伊那県足助庁および尾張国知多郡を統合して、額田県を設置。明治4年(1871年)11月22日(1872年1月2日)の第1次府県統合で名古屋県(旧尾張藩)と犬山県(尾張徳川家御附家老の成瀬氏が維新直前に独立し立藩)が統合して設置された名古屋県は、明治5年4月2日(1872年5月8日)に改称して愛知県となった。そして、同年11月27日(11月27日)、第2次府県統合により額田県を編入(太政官布告372号)して、ほぼ現在の県域が確定する。愛知県の県令には、当時の名古屋県令であった井関盛艮が続投した。県の下には大区小区制により、15大区15小区が置かれ、翌年3月には、第一大区は区長1人、権区長2人、小区に戸長1人、副戸長2人、各町に副戸長2人ずつを置くことになった。これらは藩の統治とは違う中央集権国家の末端統治機構である。明治4年11月27日(1872年1月27日)の太政官第623号布告県治条例で、県令は管内の立法・行政・司法を専決する権限が与えられ、井関盛艮らの県令は「天皇の牧民官」と称された。 愛知県の財政指標年度歳入額(単位:百万円)
近現代
政治愛知県庁本庁舎(国重要文化財)
行政「愛知県庁」も参照
知事
歴代県知事(公選)
詳細は「愛知県知事一覧」を参照
青柳秀夫:昭和22年4月12日 - 昭和26年4月4日(1期)
桑原幹根:昭和26年5月11日 - 昭和50年2月14日(6期)
仲谷義明:昭和50年2月15日 - 昭和58年2月14日(2期)
鈴木礼治:昭和58年2月15日 - 平成11年2月14日(4期)
神田真秋:平成11年2月15日 - 平成23年2月14日(3期)
大村秀章:平成23年2月15日 - 現職(2期)
議会
愛知県議会「愛知県議会」も参照
財政
一般会計と特別会計合算財政力指数経常収支比率実質公社債比率将来負担比率ラスパイレス指数起債制限比率
平成27年3,328,8180.9205298.814.3197.3100.9未公表
平成26年2,997,5840.9208393.415.1212.7102.5未公表
平成25年2,984,8390.9268198.715.5232.7100.4未公表
平成24年2,987,3700.92574100.915.5244.5100.8未公表
平成23年3,177,3750.93440102.514.9256.7102.9未公表
平成22年3,102,7791.0038394.513.4264.398.9未公表
平成21年2,973,6771.07379100.111.8271.497.7未公表
平成20年2,984,0161.0971089.110.8227.4101.8未公表
平成19年2,758,7431.0164392.011.3未公表101.011.1
平成18年2,671,7380.9434393.312.4未公表101.011.4
平成17年2,610,1110.8919995.312.3未公表100.010.3
平成16年2,575,7250.8762697.8未公表未公表100.110.6
財政力指数のグループ分類およびグループ内順位は『財政力指数 都道府県の指数の変遷』を参照のこと。
(注)平成24年と25年については「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律」(平成24年法律第2号)による措置が無いとした場合の値を採用した。
歳入額については愛知県の公式ホームページより引用[32]。
その他の指標については総務省公式ホームページより引用[33]。
経済
広小路通から見た金融街の伏見名古屋中小企業投資育成株式会社(ベンチャーキャピタル)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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