愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件
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また同日、本田忠彦市長は「道義的な責任とをとりたい」として、27日の市議会最終日に4月分の給与を5%減額する条例案を追加提案すると明らかにした[7]。3月30日、県教委は教職員の定期異動を発表。Mは教育センター研究指導主事に配置換え、後任の校長には市教委の学校教育課長が就任することとなった[8]

同年4月、名古屋家庭裁判所岡崎支部は3人を初等少年院に、残る1人を教護院(現在の児童自立支援施設)に送致する保護処分とした。

県教委は校長、教頭の処分の際、市教委から提出された「内申」の文書を非公開とする決定をした[9]。内申には、市教委が調べた事実経過についての調査内容、校長と教頭の職務上の義務に対する市教委自身の考えなどが記載されており、愛知教育大学教授の森山昭雄[10]は同年3月、県公文書公開条例に基づき公開請求した。4月、さらに非公開の決定が下され、5月、森山は異議を申し立てた。県教委が県公文書公開審査会に諮問したところ、1996年4月、同審査会は校長と教頭のプライバシーを理由に非公開が妥当との答申をしたため、同年7月16日、県教委は異議申し立てを棄却した。7月25日、森山は「校長、教頭の名前や思想、信条などプライバシーに当たる部分は黒塗りした部分公開でよい。学校や教育委員会がどのように考えているかがいじめ根絶のポイントで、県民に広く情報が公開されなければならない」と述べ、非公開とした決定は県公文書公開条例違反にあたるとして、名古屋地裁に提訴した[9]

1997年11月26日、名古屋地裁の野田武明裁判長は非公開を決定した県教委の措置を支持し、森山の請求を棄却した[11]1999年6月15日、最高裁は請求を退けた2審判決を支持し、森山の上告を棄却した[12]

1995年、東部中学校の生徒は自主的に「ハートコンタクト」という組織を結成[13][14]2019年時点のメンバーは1?3年生約50人。毎月10日などゼロの付く日に集まっていじめの根絶に向けて活動を行い、命日近くに開かれる集会の内容を考えている。2019年11月14日に行われた集会にはOの父親が参加し、講演した[13]

2019年6月10日放映のNHK総合のドキュメンタリー番組『事件の涙 Human Crossroads』が、東部中のいじめ自殺事件を特集[15]。事件から13年後にOの兄も自殺していたことが公表された[16]

家族のその後として、沖縄県キリスト教徒となり、息子の死後、各地で講演会などを行い、いじめ撲滅活動を続けていた父親が令和初期(2021年膵臓がんのため75歳で死去した。
脚注^ “ ⇒西尾市議会 1996-02-29: 平成8年3月定例会(第1号) 本文”. 西尾市議会 会議録の閲覧と検索. 2021年7月20日閲覧。
^ “見逃されていたSOS 今年9月 保健室へ○○君がサイン??中2いじめ自殺”. 毎日新聞. (1994年12月3日). https://mainichi.jp/articles/20180410/org/00m/040/023000d 2021年7月28日閲覧。 
^ 『中日新聞』1994年12月13日付夕刊、11面、「情報不足にいらだち 岡崎市教委」。
^ 『中日新聞』1994年12月13日付夕刊、11面、「中1男子首つり自殺 岡崎 父経営の工場で 昨日 下校途中、行方不明に」。
^ 『中日新聞』1994年12月14日付朝刊、1面、「岡崎・自殺の中1 いじめ被害 同級生ら次々証言 『入学直後から複数生徒に』」。
^ 『中日新聞』1994年12月14日付朝刊、23面、「〇〇君から半月 教訓生きず 『カバンに“バカ死ね”』『いすを投げられけが』 岡崎の中1自殺 『先生が注意...止まらず』」。
^ 『中日新聞』1995年3月25日付朝刊、35面、「校長、市教育長は減給 清輝君いじめ自殺 処分、正式に決定」。
^ 『中日新聞』1995年3月30日付夕刊、第2社会面、14面、「いじめ事件の西尾・東部中 校長に市教委の渡辺氏 愛知県、名古屋市が教職員異動」。
^ a b 『中日新聞』1996年7月25日付夕刊、第2社会面、14面、「校長ら処分関連の文書 非公開取り消しを 〇〇君事件で愛教大教授提訴」。


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