愛知機械工業
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自社ブランドでの自動車生産から撤退以降は、日産自動車の小型車のエンジン・トランスミッションの生産を手がけ、更にはバネットセレナラルゴサニートラックサニーキャブ/チェリーキャブパオの完成車開発・生産までをも行ったが、1999年2月に車両事業継続が困難となった為、ユニット専門工場として再スタートを切るべく車両生産からの撤退が発表され、後に日産自動車が発表した経営再建計画「日産リバイバルプラン」に合流する形となり、2001年に港工場が閉鎖(同時に日産自動車村山工場日産車体京都工場の乗用車製造ラインも閉鎖)されて完成車生産から撤退した。

当初は、永徳工場を閉鎖して生産設備を港工場に移設することになっていたが、工場閉鎖のみの場合より費用がかかるために方針を転換して港工場の閉鎖となった。港工場で生産されていたC24型セレナは2001年3月より日産自動車栃木工場に順次移管された。現在は、エンジン・トランスミッションの生産専業に徹して完成車生産は行っていないが、他メーカーへも販路を広げている。例を挙げると、三菱・ランサーエボリューションVIIIの6速マニュアルトランスミッションは愛知機械製であり、日産以外の自動車企業との初の取引でもあった。現在では、軽自動車用のCVT(無段変速機)の他、前述の三菱以外にマツダフォード・モーター現代自動車[2]ルノープロトンにもマニュアルトランスミッションを納入している。2007年12月に発売された日産・GT-R用のGR6型デュアルクラッチトランスミッションも愛知機械製である。
沿革

1943年2月 - 愛知時計製造株式会社(現在の愛知時計電機)から航空機部門が分離し、愛知航空機株式会社を設立。

1946年

3月 - 愛知起業株式会社に商号を変更。

12月オート三輪「ヂャイアント」製造販売権を帝国精機産業株式会社より譲り受ける。


1947年

4月 - ヂャイアントAA1型生産開始。

10月 現在の社章が正式に制定。


1949年5月 - 愛知起業株式会社解散。第2会社が事業を引き継ぎ、新愛知起業株式会社を設立。

1952年12月1日 - 愛知機械工業株式会社に商号を変更。

1959年3月 - 自社ブランド軽自動車「コニー」製造・販売開始。初代AA27型は軽三輪車。

1960年9月 - 「ヂャイアント」の製造・販売を終了。

1961年5月 - 「コニーグッピー」を製造・販売開始。しかし、わずか1年足らずで生産終了。

1962年11月 - 日産自動車と提携開始。

1965年3月 - 愛知機械販売株式会社を設立。

1970年

2月 - B20型サニートラックを皮切りに日産車の生産を開始。

10月 - 「コニー」の製造を終了(1971年1月までに販売終了)。


2001年3月- 港工場でのセレナ製造を終了。車両製造から撤退

2012年3月 - 日産自動車の完全子会社となる。

生産品目
エンジン

HR15DE/HR16DE

CR12DE/CR14DE

QG13DE/QG15DE/QG16DE/QG18DE

QR25DE

BR06

トランスミッション

FS6R31 - シンクロレブコントロール付き。
日産・フェアレディZ Z34に搭載。

F30A/F70A/F50A/F51A/F52A

MFA60/MFA80

W60A

R30A/R31A

MRA70

GR6

生産設備

無人搬送車「CarryBee」

多機能モータセンサ

その他

電気自動車減速機 - RE1F61Aが日産・リーフに搭載。

事業所

本社 -
愛知県名古屋市熱田区

熱田工場 - 愛知県名古屋市熱田区

エンジンの生産


永徳工場 - 愛知県名古屋市港区

マニュアルトランスミッション、CVT加工組立


大江工場 - 愛知県名古屋市港区 - 旧・日本車輌製造株式会社大江工場の敷地に建てられた。

専用工作機械など


津工場 - 三重県津市

シリンダーヘッド加工


松阪工場 - 三重県松阪市

シリンダーブロック、シリンダーヘッド、トランスミッションケース等の鋳造製品


かつての事業所


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