意志と表象としての世界
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^ 『遺稿集』[注 1]のうち青年期から『意志と表象としての世界』成立までに書かれたもの[6]
^ 以下当該論文より。「〈われわれの意識〉は感性、悟性または理性として現れる。この意識は〈主観〉と〈客観〉に分かれており、それ以外の要素は含まれない。〈主観にとっての客観〉であるということと、〈われわれの表象〉であるということとは同一である。……意識から独立しており、それ自体で存在しているもの、他のものと関係なしにそれだけで存在するもの[実体ないし物自体]などは、われわれにとっての客観とはなりえない。われわれの表象と呼ばれるものはすべて、一定のア・プリオリな結合法則のうちに取り込まれている[12]
^ 各巻題、副巻題、各節命題(目次文言)西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』より(中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年)

出典^ a b 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』 第2巻 P338 年譜部 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』 第2巻 P343 年譜部 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 姉崎正治訳 アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と現識としての世界』 博文館、1910年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』 第2巻 P335、336 年譜部 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P25 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ a b c 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P25 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P17、20 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ a b c 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P26?27 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』 第2巻 P336 年譜部 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』 第2巻 P337 年譜部 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P28 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 西尾幹二訳 『意志と表象としての世界』鎌田康男解説序文「 ショーペンハウアーの修業時代」P28?29 中央公論新社〈中公クラシックス〉、2004年
^ 姉崎正治訳 アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と現識としての世界』翻訳序言 P9 博文館、1910年
^ 姉崎正治訳 アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と現識としての世界』翻訳序言 P5 博文館、1910年
^ 姉崎正治訳 アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と現識としての世界』翻訳序言 P5?6 博文館、1910年
^ a b c d 姉崎正治訳 アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と現識としての世界』翻訳序言 P6 博文館、1910年

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