想起説
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まず、彼は「想起」はいかにして達成できるのかを周到に考える。『メノン』ではソクラテスの問答法以外に何も提起されていないのに反して、『パイドン』では「カタルシス」(ギリシア語: καθαρσι?、罪や汚染からの浄化)を通じて肉体の本性に打ち勝つ生き方を提案している。肉体とその感覚は間違いの源である。知識は理性を使うこと、魂によって物事を熟考すること(ノエシス)によってのみ取り戻せる(66 b–dを参照).

次に彼は、せいぜい真なる信念にすぎないもの(ドクサ)に対して、真の知識はその内容とは区別されることを明言する。常に魂の中にある真理が存在するからこそ人は永遠の真理を知ることができる。例えばロンドンからオックスフォードまでの最短経路のような真なる信念を知っていると大変便利ではあるが、そういった信念が知識の資格を得ることはない。どうしてヒトの魂がそのような偶然的な事実に基づいた命題をいつも知っていることがあろうか?
ネオプラトニズム

後代のプラトン解釈者にとって、「想起」は認識論的主張というより存在論的主張であった。プロティノス自身は厳密な意味での想起を仮定しなかった、というのは普遍的に重要なイデアの知識(ロゴス)は全て時間の外部に存在する源(二性つまり神的なヌース)から生じ、瞑想によって魂をノエシスの一環とすることでアクセスできるからである。それらは想起というよりむしろ経験、内的知識、識見の対象である。それにもかかわらず、ネオプラトニズムでは、「想起」説は魂の還帰の神話の一部となった。

テュロスのポルピュリオスの短い作品『ニンフたちの洞窟から』(表面上は『オデュッセイアー』13の短い一説に対する評論である)ではこの考えが説明されている。同様に、マクロビウスのより長い『スキピオの夢に対する評論』でもこの考えが説明されている。ネオプラトニスト達はこの霊的な記憶という考えを使って魂の天的・非物質的な起源について論証し、宇宙霊魂の記憶はいかにして毎日人によって思い出されるのかを説明した。こうして、霊的な記憶はプラトンの魂の概念それ自体と本質的に接続された。個々人の持つ「質料的」つまり肉体的な記憶は些末なことなので、宇宙的なイデア、つまり神的なものの想起だけが人間を不死なる存在の源へと引っ張り上げることができる。

「アナムネーシス」は、魂が物質に煩わされるのに優先して自由になることを人間の心が感じられるようになるもっとも手ごろな方法である。復活の過程はネオプラトニズムでは、魂が経験(と、そしてしばしば魂自身の神的な起源)を忘れてしまうような衝撃であるとされる。
脚注[脚注の使い方]^ 『プラトン全集 第二巻』岡田正三訳、全国書房、1946年10月5日、ISBN:978-4062585156 、p165

参考文献

Plato Phaedo, 1911: edited with introduction and notes by John Burnet (Oxford: Clarendon Press)

Jane M. Day 1994 Plato's Meno in Focus (London: Routledge) — contains an introduction and full translation by Day, together with papers on Meno by various philosophers

Don S. Armentrout and Robert Boak Slocum [edd], An Episcopal Dictionary of the Church, A User Friendly Reference for Episcopalians (New York, Church Publishing Incorporated)

Jacob Klein, A Commentary on Plato's Meno (Chicago, 1989), pp. 103?173.

Norman Gulley, Plato's Theory of Knowledge (London, 1962) pp. 1?47.

典拠管理データベース: 国立図書館

ドイツ


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