情報化社会
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増田米二の情報社会論は当時もてはやされていた未来学の影響の下にあったが、情報メディアの発達が経済分野を超え、社会・文化全般にわたる価値変容を促すこと、その中で個人がいかにして主体的な価値創造を行ない得るかという問題に注目を向けた点で、初期研究者の中では傑出しているといえる。

また、これだけを見ると1960年代における先駆的な研究があり、1970年前後から本格的な研究、著作が出版されるようになったとも見える。だが、実際にはベルは独立した書籍の形でこそ出版していなかったものの1960年代前半からポスト産業社会について論じており、最も早いものは、ボストンで開催されたセミナーのタイトルで、1962年にまで遡るという (Bell, 1973; Ito, 1980)。 ちなみに、同じポスト産業化という用語を用いたフランスにおけるトゥレーヌの仕事はベルのものとは独立したものであったと一般に考えられている。

日本では、早くから行政が情報化社会、情報社会の概念に注目して来た。研究者の中でも余り引用されることはないが、その最も早いものは恐らく経済計画審議会情報研究委員会が1969年に編集した『日本の情報化社会:そのビジョンと課題』であろう。これはダイヤモンド社から発行された書籍と、パンフレット状のものと2種類があるが、後者については佐枝 (1999) に当時の背景や分析などが見られる。
主な批判

このような情報社会論、情報化社会論の類に対しては、いくつもの批判が提示されている。
技術決定論」的であること。すなわち、情報技術に注目し、それが社会変動を予測する鍵となると考える傾向があり、他の諸要素?文化、政治、経済、など?が充分に考慮されていない、とする批判である。

ニューメディアへの批判。双方向ケーブル、ビデオテクスト、ケーブルテレビなど、社会に大きな変革をもたらすと一部で考えられ、またそのように論じられた20世紀末のいわゆるニューメディアだが、実際には広く利用されないままに終わったり、普及したものの大きな社会変動をもたらすことなく終わったため、懐疑的な見方が出た。

メディア重視への批判。一般に、メディアが社会を変革するという発想は非常に多く見られ、また的外れなものに終わっているという批判。更に、メディアの浸透や新しい情報、コミュニケーション技術が社会を大きく変動させるとする議論は「情報社会」の誕生を遥か遡って存在していることも指摘されている。電報や新聞が社会変動をもたらすと考えられたことがあり、そこで議論された社会変動の内容には、今日情報社会論として流布しているものとよく似た論点が含まれている。

情報自体の質的変化や社会構造の抜本的変化が起きないというもの。上記の情報社会の到来にたいして懐疑的な見方と関連しているが、昨今の情報技術の発展は情報の量的な変化を起こすかもしれないが、伝播される情報の質的な変化はもたらさない、とする批判。そこでは、情報技術がもたらしたのは情報を伝える速さや量、また手段であり、それらは社会が動く仕組みに抜本的な変化をもたらしているわけではない、とされている。

産業社会の延長線上に過ぎないというもの。上記の社会構造の抜本的変化が起きないという批判と関連してくるが、情報化は産業システムに効率化、速達性などをもたらすかもしれないが、根本的な構造は産業社会から変化しているわけではない、という批判である。

情報社会の到来を告げる議論は、技術を売り込みたい情報産業の広告として機能している、あるいは情報技術立国を目指す国家の片棒を担がされている、とする批判。情報社会の研究はしばしばそうした企業や政府の資金援助を受けて行われるものであることを指摘する場合もある。これは、必ずしも「そのような予測は外れる」という形の批判ではない。むしろ、企業や国家の思惑に操られてしまい、批判的に物事を見ることを怠っている、社会にとって本当に望ましいことが何であるかを真剣に考えることを忘れてしまっている、といった含みを持っている場合も多い。

革命的な変化を通じてユートピアが実現される、という論調に異を唱えるもの。このタイプの批判は、情報社会と呼びうる何かが到来することは必ずしも否定しないが、それは理想的な社会とは程遠く、様々な害悪をもたらすものだ、と警鐘を鳴らす。多くの研究者によって描かれている情報社会のネガティブなビジョンには次のようなものがある。

データベース監視カメラなどに代表される監視・管理技術が発達し、政府や企業によってプライバシーが侵害され、言論の自由思想の自由が脅かされる社会。実際にイギリス政府は主に犯罪を減らすために監視カメラ (CCTV) を広範囲に導入しており、さまざまな議論をよんでいる。

少数の企業によって報道機関独占(あるいは寡占)され、多様な言論が流通する健全な民主主義が脅かされ、少数派の意見、企業や資本主義を批判する意見などが抑圧される、反民主主義的な社会になるのではないか

少数の企業によって文化産業が独占(あるいは寡占)され、消費者が健全な道徳や判断力を失ったり、「豊かさ」について誤った理解をしたり、文化的な多様性や創造性が失われたりする結果生まれる、貧しく、空しい社会になるのではないか

情報技術への理解が深く、情報処理能力に長け、情報へのアクセスに恵まれた、一部のエリートと、それ以外の人々の間の貧富の格差が広がり、より強固な搾取の構造が打ち立てられる社会になるのではないか

犯罪を実行する為の関連技術と誰でも簡単に触れる事が出来てしまい、治安が悪化した社会になるのではないか。現実にインターネットを悪用した犯罪は急増している。


情報の過剰化により本来得られるべき情報が得られなくなり、また偽情報の氾濫などにもより、情報自体の意味が損なわれる。つまり、「情報化社会とは情報がゴミと化してしまう社会のことだ。」との批判もある。

個人が自分の情報を制御できなくなる。買い物を始め生活するためには社会のあらゆるところで個人情報の提供を求められ、そして提供した情報は一次提供先にとどまらず、あらゆるところで利用されるようになる。だが、情報提供者はそのことを把握も管理する方法もないことになる[1]

出典[脚注の使い方]^ 『数式を使わないデータマイニング入門』岡嶋裕史

参考文献

梅棹忠夫 (1963).「情報産業論」放送朝日 1月号 p.4?17

公文俊平 (1998).「情報社会論の偉大な先達」、 ⇒
[1](2003年7月5日閲覧)

経済審議会情報研究委員会 編 (1969).『日本の情報化社会:そのビジョンと課題』 ダイヤモンド社

佐枝三郎「日本の情報化社会-これまでの30年、次の30年」『総研レビュー』三井情報開発 v.26 pp.8-18.、 ⇒[2](2003年7月5日閲覧)

通商産業省重工業局情報産業室編 (1969). 情報化社会へ向って : -われわれの課題- 産業構造審議会情報産業部会答申 コンピュータ・エージ社

通商産業省産業構造審議会(1969). 情報処理および情報産業の発展のための施策に関する答申

日本情報処理開発協会 (1972).『情報社会への計画-西暦2000年をめざす国家目標』

林雄二郎 (1969).『情報化社会』講談社現代新書

福田豊 (1996).『情報化のトポロジー』御茶の水書房

加納寛子(2007)『情報社会論―超効率主義社会の構図』 北大路書房

福永英雄 (2008).「高度情報化と現代文明??《当事者性》の低落をめぐって」梅棹忠夫・監修『地球時代の文明学』京都通信社

Bell, Daniel (1973). The Coming of Post-Industrial Society: A Venture in Social Forecasting. New York: Basic Books.(和訳:ダニエル・ベル『脱工業社会の到来:社会予測の一つの試み』内山忠夫ほか訳、ダイヤモンド社、1975年)

Beniger, James R. (1986). The control revolution : technological and economic origins of the information society. Cambridge, MA: Harvard University Press.


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