情報プレゼンター_とくダネ!
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通常放送時でのコメンテーター席は右端に2人ずつという開始当初の3代目までの席配置に戻された[48]。出演者席の色が5代目以来の青色へ戻る。


8代目:2019年9月30日?2021年3月26日

水色をベースにデザインを一新。出演者背景に設置されていたモニターと別の動画ビジョンが6代目以来の復活。小倉の左背景にさまざまな外の映像や最新のニュース映像を複数映しているモニターを設置した。通常のモニターは、先代7代目まではセットデザインに合わせた施しがされていたが、枠のない黒い原型がむき出しの質素なものになった。


スタッフ



ナレーター:
堀井真吾青森伸坪井章子平野正人山崎和佳奈郷里大輔田中亮一矢田耕司田中一成牧原俊幸鈴木?小林俊夫斉藤茂一さとうあい谷育子半田雅和滝下毅田中良典野田圭一藤田淑子二木静美住友優子青山美帆関根明子竹本英史川野良子(フジテレビアナウンサー)、大場真人寺瀬今日子安井絵里福原耕平鈴木賢市川展丈、井上里奈、今村直樹遠藤守哉、高幸、向坂樹興徳山靖彦中友子中尾良平馬場圭介平井啓二柳沢三千代山下恵理子山中まどか ほか


AD:宮川直樹

ディレクター:阿左美貴彦、加藤正臣、藤村美里、松本美帆、小出和平、藤井進、西谷慎二、中成皓、山口順平、長嶋なぎさ、戸田奈沙、海野麻実、坪谷健太郎、谷翔平ほか

プログラムディレクター(PD):島野平(フジテレビ)[49]、吉田渉(フジテレビ)ほか

総合演出:荒木勲(フジテレビ)

チーフディレクター:一之瀬登

プロデューサー:日向栄二、渡辺俊介、内ヶ崎秀行、森憲一、山中弘明(山中→以前はチーフディレクター)、坂本隆太、平岡大二郎(全員→フジテレビ)、吉川和仁(バンエイト

チーフプロデューサー:西渕憲司、宗像孝、大野貢、濱潤、山崎亮介、石塚大志、杉崎朋子(杉崎→以前はプロデューサー)、渡邊貴(全員→フジテレビ) 

美術:片岡浩美(フジテレビ)

デザイン:水上啓光(フジテレビ)

制作:フジテレビ情報制作センター

制作著作:フジテレビ

その他

小倉及び番組スタッフの方針として、他のワイドショーのような「話題の出来事を毎日・長時間かけて放送する」ことを嫌い、長くて(スタジオトークの時間を含めて)15分程度とした
[50]。番組がはじまった1999年は長らく「ミッチー・サッチー騒動」をワイドショーはこぞってほぼ毎日扱っていた[50]。本番組では新たな動きが起きない限り放送しない方針を貫いたが、この時の視聴率は苦戦していたという[50]

通常、小倉は毎日スーツネクタイ姿で登場している。かつては放送日が祝日に当たった場合はノーネクタイでジャケットを着用していた(笠井は祝日も関係なくスーツ姿。ただ、例外として2007年9月24日は、前日にあった自民党総裁選挙を扱うため、小倉はスーツとネクタイであった)。しかし東日本大震災以降は、放送日が祝日の場合でもスーツにネクタイ姿で出演している。(2011年夏は東日本大震災による節電対策により平日でもノーネクタイ姿であった。小倉が平日にノーネクタイ姿であるのは番組始まって以来初であった。他の番組のキャスターも2011年夏に関してはノーネクタイ姿が多かった。同時にノーネクタイ時期はスーツ・ジャケットからポケットチーフを出していた)。またスーツ・ジャケットは2008年頃までは3つボタンがメインであったが、2009年頃からは2つボタンがメインになっている。番組進行では座っている時にスーツ・ジャケットのボタンをはずすことがなくなった。

小倉は、本番組をスタートさせた1999年夏期休暇を自ら返上し、2000年から毎年休暇をとっている。また2003年1月21日にインフルエンザにかかり、それを明かした上で、22日から24日の出演を見合わせたことがあった。

小倉はスポーツに関しての関心が高く、折に触れ現地取材を行っている。シドニーオリンピックでは金曜日の放送終了後にシドニーへ発ち、月曜早朝に成田空港に到着する強行軍を2回行う。アテネオリンピックでは、小倉は念願かなって期間中をアテネから放送した。2006 FIFAワールドカップでは日本のグループリーグ第2戦クロアチア戦と第3戦ブラジル戦にあわせ、6月12日からの1週間をドイツから放送した。北京オリンピックでも、アテネオリンピック同様、小倉は期間中を北京から放送した。

2004年4月、当時レギュラーコメンテーターの植草一秀の逮捕の際は、スタッフ全員で事件への番組の対応方針を視聴者に説明し、謝罪を行った。

2004年10月4日からは、セット、CMアイキャッチが番組開始5年半にして始めて大幅なリニューアルが施された(※ただし、タイトルロゴの形・色はそのままで、オープニングのみ2003年4月に変更されている)。その後司会に中野美奈子が就任した2009年3月30日、2011年3月28日にも変更されている。

2005年10月からオープニングフォーマットを変更。それまでのヘッドライン→タイトルロゴの後にオープニングトークが入るスタイルから、8時丁度にスタジオバックでタイトルロゴが入りすぐにオープニングトーク、その後にヘッドラインを入れるスタイルになった。これは、裏番組が自番組のフォーマットを追従していることに対して、その裏をかいたフォーマット変更といえる。

2006年7月21日には、来日中のThe Pretendersがオープニングでテーマ曲をスタジオ生演奏した。

2007年1月11日には本来、同番組の前半スポンサーの中の一社であった不二家が前日に不祥事を起こしたことから同日よりスポンサー活動を自粛、公共広告機構(現:ACジャパン)に差し替えという事態となった(現在は復帰)。

不祥事
ミッチー・サッチー騒動や野村沙知代に関する報道姿勢
番組スタート直前の1999年3月末
ミッチー・サッチー騒動が発生。本番組は4月16日、野村沙知代が美容整形の代金を滞納しているとした内容を放送した。しかし翌日、小倉が番組の冒頭で「今後、ミッチー・サッチー騒動や野村沙知代さんに関する報道は特に大きな進展がない限り放送はしません」と挨拶した。理由は明らかにされなかったが、スポーツ報知の紙上では「ヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)を3度の日本一に導いた沙知代の夫野村克也に配慮した、またはフジテレビからの圧力があったのでは」と結んだ[51]
フィギュアスケートの報道
2008年12月15日放送分では、浅田真央が優勝したGPファイナルに関して「浅田真央逆転Vも… キム・ヨナ“実力”に差」という題で、視聴者に「浅田真央よりもキム・ヨナのほうが実力が上」と感じさせる内容を放送。大きな反発を招いたうえ、得点計算に関する客観的な誤りがあったため、18日に番組内で訂正および謝罪を行った。
島田紳助の芸能界引退時
島田紳助が2011年8月23日、暴力団関係者との交際があったことを理由に芸能界引退したことを翌24日放送分で扱った際、小倉が「皆さんの周辺でも、知らないうちにそういう(暴力団)人が解決してくれるってことは起こるはず」「駄目なことは分かってても、それしか解決方法がなかったって人はいると思う」と発言。暴力団によるトラブルの解決を肯定しているとも取れる発言だったことから、ネット上で批判が殺到した[52]。これを受け26日放送分で小倉が「トラブルに巻き込まれて、その解決を警察とか弁護士ではなくて、結果的に圧力団体であるとか闇社会の人が解決をしてしまうケースがあるという話をした。これは、私は『考えなければいけないことだ』と言ったが、これがどうも『小倉が容認しているようだ』と受け止められたようだ」と釈明。「一般の人は暴力団とは関係ない」との反論については、「昔は暴力団という看板を掲げて、威嚇をしていた。
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