悪魔
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英語での悪魔の俗称「オールド・ニック Old Nick」は北欧神話の「オーディン Woden」に他ならないという説がある[10]
キリスト教の悪魔悪魔を踏みつけるミカエル
堕落の教理アウグスティヌス神の国

教父たちは、かつては神に仕えた天使の罪について論じた[11]。中世のスコラ学では善良な天使と邪悪な天使との人間の交流についての思弁的な論究が交わされた。13世紀に入ると悪魔の存在が現実の危機として考えられるようになり、より具体的、現実的な考察が行われるようになった。特に悪魔と人間の肉体交渉について神学者は関心を寄せ、教義の一つへと発展していった[12]

なかでも、当時絶大な権威を持っていた神学者トマス・アクィナスは、悪魔(インキュバスサキュバス)は人間の姿をとって人間と交わることが可能であり、神の許しのもとに人間にあらゆる害を与える力があると主張し議論を決定づけた[12]

キリスト教神学では、神に対して謀反を起こした堕天使(サタン)の手先である。神学では、人間を誘惑して堕落させ、カトリック教会を滅ぼそうとするものとされた。また、角、翼・蹄・尻尾などを持つ姿で表現されるほか、黒い影でも表現された。一方で、教化のため教会が利用した[13]

近代的な合理主義的思考が定着するにつれて、悪魔は言い知れぬ恐怖の存在から、より具体的、肉体的な実在性を帯びるようになる[14]1632年に発生したルーダンの悪魔憑き事件(英語版)のような悪魔の仕業とされる事件や、悪魔憑きの現象や対抗措置としての悪魔払いは、近現代に至るまで否定されることなく続いている[14]
キリスト教と異教

ギリシア語の旧約および新約聖書では悪霊的存在がダイモーン(またはダイモニオン)と記されており、使徒パウロ、教父アウグスティヌスは、異教の神と悪魔を同一のものとして記述している。アウグスティヌスは『神の国』第10巻において、人を欺くダイモーンの危険性を指摘した新プラトン学派の哲学者ポルピュリオスの不徹底を批判し、ダイモーンはすべて悪霊であって、異教の神々は悪霊が偽装したものであるとした[15]

11世紀の東ローマ帝国の知識人で宮廷の有力者でもあったミカエル・プセルロス悪魔学の著作を遺している (Greenfield, Traditions of Belief in Late Byzantine Demonology を参照)。新プラトン主義的な発想や民俗的デーモン観を取り入れたプセルロスの鬼神論は、東方正教会の中心地であったコンスタンティノポリスで重んじられたほか、ラテン語訳されてルネサンス期に西方教会の領域にも広まった[16]
悪魔の罠

悪魔はを用いるとされる[17][18]。悪魔に立ち向かうようにと勧められてはいるが[19]、全世界は悪しき者の配下にあるとされているため[20]、悪魔の罠を見破るのは一般人には容易ではない。
イスラムの悪魔

イスラームの文化においては悪魔はアラビア語で「シャイターン」という。これはイスラム教以前からあったアラブ人の言葉であるアラビア語に由来するが、ムハンマドがユダヤ教やキリスト教の影響下でヘブライ語のサタンに関連付けた[21]。その頭目は堕天使イブリース(キリスト教のルキフェルに相当)であるが、キリスト教とは違い、それ以外の悪魔は単なる人に悪さをするジン精霊)にすぎない(イブリースを参照)。
グノーシス派の悪魔

グノーシス主義では、旧約聖書の創造神ヤハウェがこの世の悪しき支配者とみなされ、悪魔化された[22]。それ以下の偽りの神や悪霊的存在とみなされたものはアルコーンと呼ばれた(デーミウルゴスヤルダバオートアルコーンを参照)。
仏教およびインドの悪魔

仏教の悪魔を表すサンスクリット語のマーラ (M?ra) は阿含経相応部』の「悪魔相応」(マーラ・サンユッタ)に書かれている[23]。この語が魔羅、悪魔などと漢訳される。仏典にみられる悪魔の名称には天魔、魔羅(マーラ)などがある。この他、インド神話や仏教の万神殿にはナムチアスラ阿修羅)、ヤクシャ(夜叉)、ラークシャサ(羅刹)といった悪神や悪鬼的存在がいる(詳細は各項目を参照)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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