悪魔の手毬唄
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悪魔の手毬唄
著者横溝正史
発行日1971年7月14日
ジャンル小説
日本
言語日本語
ページ数480
コードISBN 4041304024
ISBN 978-4041304020(文庫本)

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『悪魔の手毬唄』(あくまのてまりうた)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。『宝石1957年8月号から1959年1月号にかけて連載された。手毬唄歌詞に沿って行われる童謡殺人を描く。

2021年5月までに、本作を原作とした映画2本、テレビドラマ6作品、ラジオドラマ1作品が制作されている。
概要

宝石1957年8月号から1959年1月号にかけて連載。1957年5月号から7月号に掲載された連載開始予告では『人を殺して名を残す』と題されていた[1]

連続殺人事件が村に伝承の手毬唄になぞらえて行われるという趣向は、『獄門島』の俳句見立てた殺人と同一系譜にあるものである。ただし本作の手毬唄は実在しない創作品であるため、これを引っ張り出すストーリー展開にも工夫がなされている。

横溝によると、元々はヴァン・ダインの『僧正殺人事件』などいわゆるマザーグース殺人事件を知り、そのような作品を書きたいとの希望があった。しかし、二番煎じと批判されることを恐れて諦めていたところ、アガサ・クリスティーが『そして誰もいなくなった』で同じようなことをやっており、それが許されるのだから自分もやってみようと思い立ち、有名な俳句を用いて『獄門島』を執筆した[2]が、童謡殺人という点では満足できず、実在の伝承に基づくものを考えていた。しかし、なかなか都合のいいものが無く苦労していたところ、深沢七郎の『楢山節考』(『中央公論1956年11月号発表)を知り、「無いなら作ればいいんだ」と気がついたという。

しかし、実際にはなかなか唄ができなかったが、ある日たまたま台所で、ふだん見かけない大きな皮の漏斗が転がっているのを見て、なんとなく異様なものに思え、しばらくそれを見つめているうちに、「ではかって漏斗で飲んで」という句が自然に浮かんできた[3]。いちばん大きなトリックははじめからあったので、手毬唄ができると同時に、そのトリックを中心に猛烈な勢いでストーリーを組み立て始めた[3]。手毬唄ができてから全体の構成ができあがるまでには、一週間とかからなかったという[3]

山間部の孤立した集落という舞台設定が謎解きに関わり、また「お庄屋ごろし」(サワギキョウ)や「山椒魚」も演出に一役買っている。

横溝はインタビューで、本作の鬼首村には地形上のモデルが実在しており、1945年5月から3年あまり疎開していた岡山県吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)の「桜」という集落を、作中に登場させていると述べ[4]、同インタビューで編集者から示された鬼首村の地図[5]を、「作者公認」として結構ですと述べている[4]。作品中に「桜のお大師」と描かれ、公認地図の桜集落の中に記されている「大師」[5]の名前も、岡田村の桜集落に実在する「桜大師」(金剛寺の別称)がモデルである[注 1]

横溝本人は本作について、「一番僕の作品では文章の嫌味もなくよく出来た」(『宝石』1962年3月号)[7]と評し、「自身が最も好きな作品」(東京スポーツ1975年9月26日付)[8]に挙げている。
あらすじ.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2020年8月)(使い方

1955年昭和30年)7月下旬、金田一耕助は1か月ばかり静養できる辺鄙な田舎を探して、岡山県警に磯川常次郎警部を訪ねた。磯川警部は金田一に、岡山兵庫の県境にある寒村、鬼首村(おにこうべむら)[注 2][注 3][注 4][注 5]の温泉宿「亀の湯」を紹介する。磯川の話では、23年前の1932年(昭和7年)、鬼首村で殺人事件があったという。経緯は以下の通りである。

当時、鬼首村には仁礼家と由良家の2大勢力が存在していた。元々は多数の田畑を有する由良家が優勢であったが、仁礼家の当主・仁平が自らの山でブドウ栽培を始めたところ鬼首村の一大産業となるほどの成功を収め、仁礼家が優勢になりつつあった。

それに危機感を抱いた由良家の当主・卯太郎のところに、恩田幾三なる人物が村でのモール作りの話を持ち込んで来る。卯太郎は仁礼家への対抗策として恩田の話に乗り、こうして村で副業としてモール作りが始められることとなる。恩田は村人にモールの製造機械を売りつけると、月に2 - 3度村にやってきては、村人たちからモールを受け取り、その代金を置いていった。

そんな村に、亀の湯の次男・青池源治郎が妻のリカと息子の歌名雄を連れて帰還し、亀の湯の主人となった。源治郎は恩田を詐欺師と見破り、ある日単身恩田が滞在していた道楽者の庄屋の末裔・多々羅放庵の家の離れに乗り込んでいったが、それっきり戻らなかった。

そんな源治郎を心配した妻リカは離れに様子を見に行くが、そこで源治郎の撲殺死体を発見する。死体は囲炉裏の中に倒れこんで顔が焼かれ、相好の区別がつかなくなっていた。

犯人は恩田と目されているが、事件後現在に至るまで行方不明となっている。なおモール作りは恩田が行方不明になったことで完全に破綻してしまい、卯太郎は大損害を被った上、面目が失墜する羽目になり悲嘆にくれ、事件の3年後にこの世を去った。

磯川は死体の顔が焼かれていたことから「殺されたのは本当に源治郎なのか?」という疑問を抱いており、金田一に事件の調査を依頼したのであった。

亀の湯に滞在した金田一は、女主人として亀の湯を切り盛りするリカと歌名雄、源治郎の死後に生まれたリカの娘・里子、仁平の長男で村の有力者・嘉平、そして多々羅放庵らと顔を合わせる。


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