悪魔が来りて笛を吹く
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主演は西田敏行[注 22]
原作との相違


お種は小夜子と同一人物であり、東太郎(治雄)との複数犯行である。

東太郎の指が欠損しているという設定は無く、したがってフルートの運指に関するトリックも無い。

東太郎とお種は椿家でも兄妹と認識されている。

三島東太郎という偽名の由来は不詳だが、戦争中に英輔の当番兵だった人物(故人)の息子ということになっている。

原作とは逆に、治雄は利彦と妙海尼(俗名は駒子ではなく妙子)の子であり、小夜子が利彦と秌子の子供である。

治雄と小夜子は互いに異母兄妹であると知らされても別れることができず、小夜子はお腹に子供を宿したまま手首を切って自殺しようとした。治雄が自殺を止めるが、苦しみとショックのあまり彼女は流産した。

東太郎は英輔の須磨行きの往路に随行していたが、そのことは隠していた。それを金田一に見抜かれ、その様子を見ていた美禰子が激怒し、東太郎が美禰子と金田一を三春園まで案内することになる。東太郎は現地で合流した山下刑事と共に先に帰京し、金田一は板宿と福原(原作の新開地から変更)を調査した後、美禰子を帰らせて単独で淡路へ向かう。

妙海尼の死因は、息子・治雄の犯行を知っての首つり自殺に変更された。原作で妙海尼を殺害する飯尾は神戸や淡路島に現れない。

利彦が偽電報で皆を追い出したあと、早く帰ってきた美禰子に利彦との情事を目撃されてしまった秌子は、鎌倉の別荘に移ることを決意する。

東太郎(治雄)とお種(小夜子)は信乃を納戸に監禁して自分たちだけが鎌倉の別荘へ随行する。そして、2人から怒りと憎悪をぶつけられた秌子は、窓から飛び降りて自殺する。

砂浜で服毒による心中を図り、先に息絶えた小夜子の後を追うように虫の息の治雄の心情を慮り、金田一は妙海尼の自殺の事実を伏せて淡路島の母親は元気だと嘘をついて安心させる。

ラストシーンでは、妙海尼が墓守をしていた淡路島の墓地に治雄と小夜子の墓が建てられており、美禰子が金田一と共に訪ね、そのあと船で次の事件に向かう金田一に高台から別れを告げる。

キャスト


金田一耕助 - 西田敏行


椿秌子 - 鰐淵晴子


三島東太郎(河村治雄) - 宮内淳

椿美禰子 - 斉藤とも子


お種(小夜子) - 二木てるみ

新宮華子 - 村松英子

菊江 - 池波志乃

妙子(妙海) - 北林早苗


椿英輔 - 仲谷昇

山下(刑事) - 藤巻潤

目賀重亮 - 山本麟一

新宮利彦 - 石濱朗


お玉 - 京唄子

うめ - 村田知栄子

天銀堂店長 - 中田博久

お信乃 - 原知佐子

沢村(刑事) - 三谷昇


作造 - 中村雅俊

電報局局員 - 秋野太作


植松 - 角川春樹

雑炊屋 - 横溝正史


千代 - 中村玉緒(特別出演)

風間敏江 - 浜木綿子(特別出演)


玉虫公丸 - 小沢栄太郎


信州の杣人 - 金子信雄

慈道 - 加藤嘉


風間俊六 - 梅宮辰夫


等々力(警部) - 夏八木勲

製作

角川春樹のプロデューサーとしての手腕を見込んだ岡田茂東映社長の要請で[12][13][14][15]、角川は本作で初めて独立プロ角川映画)のプロデューサーを離れ、メジャー内部に単独で乗り込みプロデュースを行った[12][14][16][17][18][注 23]。本作と合わせて高木彬光原作の『白昼の死角』も東映で映画化権を獲得し[20]、岡田は「新しい映画作りの担い手として角川春樹氏の手腕を私は高く評価している。角川事務所と初の提携作品となるが、二本とも角川氏に製作者になってもらうことで意見の一致をみた。バイタリティと行動力、それに新しい時代にマッチした作品が出来ると確信している。当社の目玉にしたい」と説明した[20]。本作は全額東映の出資の東映映画で、角川は東映の雇われプロデューサーとしての申し入れを「これまでの恩返しにもなる」と承諾した[12]。依頼された時点では何をやるか全く決まっていなかったが、角川は岡田に損をさせてはいけないと慎重に企画を練り、"金田一シリーズ"は二番煎じとなるが、興行的な安全パイを考えると横溝作品は外せないし、西田敏行サイドから是非、映画に出たいという強いオファーがあり、西田に会ってみて、こういう金田一耕助像もありかなと思い、本作品を選んだ[12]。監督は毎日放送製作のテレビドラマ版『獄門島』(1977年)の視聴率がよかった斎藤光正を起用した[12]

1978年7月6日、帝国ホテルで製作発表会見があり[15]、岡田茂東映社長、角川春樹プロデューサー、横溝正史、斎藤光正監督、音楽担当の井上堯之[15]山本邦山の他、西田敏行鰐淵晴子宮内淳ら出演者が出席した[15]。会見で岡田東映社長は「横溝氏の原作が発表されて間もなく、昭和24年から36年にかけて東映は氏の代表作のすべてを片岡千恵蔵の金田一耕助で七本映画化しており、これで元の本家に戻ったことになる。プロデューサーに角川春樹氏を迎えたのは従来の企業製作から脱却し『新体質の映画作りを目指す』東映の新方針に基づくものだ」などと話した[15]。角川春樹は「今回はプロデューサーとして東映に雇われたわけで、すべて東映の金で製作する。その第一作は何にするか考えたが『悪魔が来りて笛を吹く』に決めたのは『犬神家の一族』を作ったとき、どちらにしようかと迷ったくらいに印象深く残っていた作品だからだ。『悪魔が来りて笛を吹く』を成功させて、東映でのプロデュース第二弾は高木彬光原作の『白昼の死角』を準備している。宣伝面では音(笛の音)を中心に耳から攻略する方針で、超大型予算をラジオスポットに投入[注 24]し、これにテレビを加えて電波をすべて攻略する」などと話した[15]。また「製作費5億円、宣伝費2億円にプリント費1億5,000万円を加えた総原価が8億5,000万円。配収目標は10億円と設定。(1978年)9月中旬クランクイン、11月末完成、12月試写。1979年1月20日から正月第二弾として一本立封切する」等、合わせて説明があった[15]。『週刊明星』1978年10月29日号には、製作費6億5,000万円[17]、配収目標は7 - 8億円と書かれている[17]
キャスティングほか

斎藤光正の監督抜擢は、角川映画の黒井和男とダブル番頭格だった古澤利夫(藤峰貞利)によるもの[22]


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