悪魔が来りて笛を吹く
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実家新宮家の両親から可愛がられ、大正11年に実父・新宮子爵が死去した際に兄・利彦より多くの遺産を相続しており、たとえば椿家の邸宅は秌子の結婚に際して母方の祖父から譲られたものである[注 12]。白痴的でひどく無邪気、かつ暗示に掛かりやすい。宝石マニヤで家計が傾いても宝石を手放そうとしないほど執着している。タイプライターは打てず、その代わり手習いが上手い。同居している伯父・公丸や兄・利彦が夫・英輔を見下していやがらせをするのに影響されて、一緒になって無視した。自殺した夫・英輔の死亡確認を嫌がり遺体を自ら確認しなかったうえ、英輔に顔が似た飯尾に東太郎が命じて姿を垣間見させるなどしたため、「夫が実は生きていて自分に復讐に来る」という妄想に取り付かれる。16 - 7歳の頃に実兄・利彦の子(後の治雄)を妊娠し、甥と姪の醜聞を恐れた伯父・玉虫公丸の計らいにより、須磨にある玉虫家の別荘で男児を極秘分娩し、男児は里子に出された。絶えず性交渉をせねば満足できない体質で、それを抑える知性にも欠けている。新宮殺害のあと麻布六本木の邸宅から逃げ出して鎌倉の別荘へ移る準備をしていたところ、酒を飲んだ東太郎の肩の痣を鏡越しに見て怯え、台風が接近する中を鎌倉へ急行し、その直後に常備薬に仕込まれていた青酸加里で毒殺された。
お種(おたね)
椿家の女中。23 - 4歳位。美禰子よりは器量良し。亡き主人の英輔を慕い、新宮利彦を心底から毛嫌い、菊江のことも嫌っている。
信乃(しの)
秌子の乳母、実家の新宮家から秌子が椿家に嫁いだ時に一緒に付いて来た。62 - 3歳。芸術的な醜さの老婆。今も秌子を「お嬢様」と呼び、かいがいしく世話をする。
目賀重亮(めが じゅうすけ)
秌子の主治医。52 - 53歳。平家蟹のような顔で脂ぎった精力的人物。ひどいがに股。仙人(がませんにん)と呼ばれていることを自覚している。財産に対する欲が薄いことと強壮な肉体とを見込まれて、秌子とは英輔の自殺より1週間後に玉虫公丸の媒酌により内祝言を挙げていた。新宮利彦が殺害された日、利彦の工作により偽の連絡を受けて横浜まで出掛ける。連絡が偽りと知ると憤慨し帰宅、秌子を疑い悶着を起こす。
新宮家
新宮利彦(しんぐう としひこ)
秌子の兄、元子爵。43歳。背のひょろ高い、ひどく尊大に構えているが、臆病そう、鼻の下がながいのと、口許にしまりがないのとで間の抜けた感じ。神経質で人見知りする
陰弁慶。浪費家だが、収入と生活のために労働することは考えない。妹・秌子が両親から自分より多額の遺産を相続したことに不満があり、隙あらば妹に金をせびるため、伯父・公丸から警戒されている。左肩に火焔太鼓のような痣があり、飲酒や入浴、発汗等の後に浮き出る。華子と結婚する前に、当時未婚であった秌子と実の兄妹間で肉体関係を持って男児(後の河村治雄)を産ませ、同時期に秌子との近親相姦を知られた臨時の小間使い・堀井駒子にも手を出して、庶出の娘・小夜子を産ませた。家中の者が多く出かける予定があった日、邪魔な信乃や目賀を偽電報・偽電話で出掛けるように仕向け、華子に実家に金策に行かせ、お種を除き秌子と2人になるよう工作し、皆留守の間に妹に金をせびった。後の治雄の告白文によると、その際、秌子の部屋に人知れず入る姿とその後部屋の照明が消えた様子を目撃されており、過去に懲りずに秌子と性交渉していたと推察されている。自分が秌子に産ませた禁忌の子・治雄に殺害され、これまでの所業の報いを受ける。
新宮華子(しんぐう はなこ)
利彦の妻。40歳前後。落ち着いた中年婦人だが、人生にうみ疲れた雰囲気を持つ。
新宮一彦(しんぐう かずひこ)
利彦の息子、美禰子の従兄。21歳。やや暗い影があるものの、父親に似ず上品な青年。就職活動中。英輔のフルートの弟子だった。父と叔母・秌子の呪われた関係、そのために悪魔と化した異母兄・治雄の悲劇に心を痛めた。
玉虫家
玉虫
[注 13]公丸(たまむし きみまる)
秌子・利彦の伯父(母の兄)[注 14]。70歳前後。元伯爵で元貴族院議員。邸宅が焼失したため椿家に転居したとされる[注 15]。転居先を椿家とした表向きの理由は、偏屈で子供たちとは合わず、むしろ姪・秌子には敬意を払われているということだが、実は甥・利彦を監督するのが主目的であった。1923年大正12年)の夏、自分の別荘に遊びに来ていた利彦が奉公人の駒子を妊娠させた時は、その父・河村辰五郎に多額の手切れ金を支払って処置した。しかし、同時期に秌子が利彦の子を妊娠した際は醜聞を恐れ、極秘で自分の別荘で出産させた男児を表向きは死産とし、駒子の口から新宮兄妹の近親相姦を知っていた辰五郎に渡して妻はるとの長男として入籍させたのが後の河村治雄である。その後も辰五郎から要求されるごとに口止め料を支払っていた。砂占いに始まる騒ぎのあと現場に1人で残っていたところ、風神雷神像を入れ替えようとした東太郎と鉢合わせとなり、東太郎の口からその出自を明かされる。東太郎としては殺害予定はなかったが、自分への殺意を含んだ敵意に気付き、気が変わった東太郎により絞殺され第一の犠牲者となった。
菊江(きくえ)
公丸の小間使いで、。23 - 24歳位[注 16]でスタイルのいい美しい女性。芸者見習いをしていた時に公丸に見初められた。普段の言動に似つかわしくない古風な価値観を有しており、内祝言を挙げた秌子と目賀を軽蔑している。タイプライターを美禰子に教わり、打つのが上手い。公丸の他に戦時中徴兵されて戦死した恋人がおり、出征前夜に会いに来た彼に「心中立て」したため、左手の小指が欠けている。停電を利用したトリックに即座に気付くなど聡明な一面もある。公丸殺害により椿家にとって「縁なき衆生」になったが、殺人事件の重圧に押し潰されそうな中で彼女が撒き散らすコケットリーな空気の救いが必要とされ、事件解決まで椿家に同居し続けた。
河村家
河村辰五郎(かわむら たつごろう)
堀井駒子の父。植木屋の親方を務める植木職人で通称「植辰」。玉虫伯爵の別荘に出入りし、近隣の旅館・三春園でも働いていた。玉虫家の別荘で駒子が妊娠した際、胎児の父が新宮利彦であるのを知ると東京の玉虫家まで出向いて多額の手切れ金を請求した。駒子の口から新宮兄妹の人倫に背いた関係を聞いており、公丸から託された里子・治雄の出自を察して伯爵から口止め料を強請る「金づる」にする目的で引き取り、強請りとった金で遊び暮らした。植木屋の株を「植松」に譲って板宿(いたやど
[注 17])に移っていたが、空襲のさ中、酔っ払って1つで家の外に飛び出して直撃弾により死亡した。
おたま
河村辰五郎の最後の妾。復員して訪ねてきた治雄に、小夜子の自殺とおこまの現況を伝えた。出川が探し当てたときには、大阪天王寺区の下等な売春宿で売春および売春の斡旋を行い、悪い病気をもらって寝たきりになっていた。
堀井駒子(ほりい こまこ)
辰五郎の娘で通称「おこま」、旧姓は「河村」。42 - 43歳。小奇麗な顔立ちだが気苦労から老け込み、55歳程度に見える。河村治雄とは血縁はないが、戸籍上の異母姉弟に当たる。若い時分は色の白い美人で一通りの礼儀作法の心得があり、玉虫家の別荘で夏にだけ臨時の小間使いをしていた。大正12年の夏、新宮兄妹の関係を知ってしまったために、口封じのために新宮利彦に犯され、小夜子を妊娠・出産する羽目に陥る。後に父の弟子・堀井源助の元に嫁がされた。度々自宅に出入りする治雄を温かくもてなしていたが、はじめて飲酒した治雄の左肩に新宮利彦が持つものと同様の痣を目撃して治雄の出自に疑いを持ち、辰五郎を詰問して事実を聞き出す。その結果、治雄のことを避けるようになるが、当の治雄に事実を告げることをしなかったため、自らの強制疎開と小夜子の徴用とで目が届かなくなっている間に治雄と小夜子が仲を深めていくことを止められなかった。小夜子を自殺で喪った後、淡路に渡り出家して・妙海になった。終戦後、真相を知るべく自分を捜し訪ねて来た治雄や椿英輔に忌まわしい過去と真相を打ち明け、それが英輔の自殺の引き金となったことを酷く気にした。公丸が殺害されたこと知り、犯人が治雄で次は利彦が狙われることに気付いて、父の最後の妾・おたまを訪ねるが、会うことは叶わなかった。真相を証言されることで利彦殺害の機会が失われる可能性を懸念した東太郎の命を受けた飯尾により殺害された。
河村治雄(かわむら はるお)
1924年(大正13年)6月に誕生。戸籍上は辰五郎とその妻・はるの長男となっているが、実は椿秌子とその兄・新宮利彦との近親相姦によって生まれた子である。高等小学校卒業後、実の親ではないうえ妾をどんどん替える辰五郎の元には居づらく、家を出て神戸の商家に奉公しながら夜学に通い、19歳の頃ドイツ系の商社に就職してタイプライターを習得した。堀井母娘を度々訪問し親交を深めており、実の父を知らないという境遇が似ていたことから、当時は血縁がないと認識していた戸籍上の姪・小夜子と惹かれ合い、夫婦の契りを結ぶ[注 18]1944年(昭和19年)6月に出征し、1946年(昭和21年)5月に復員した後、八方手をつくして小夜子の消息を探した結果、同年夏ごろにおたまを探し当てて小夜子の自殺を聞かされ、淡路にある妙海尼(おこま)の庵の住所を聞き出して訪ねる。そして、小夜子の自殺理由を激しく問い質し、自身の呪われた出自と小夜子が異母妹であった事実を知り、小夜子と自分とのための復讐を誓う。利彦と同様の左肩の痣を証拠に椿英輔に名乗り出て、「三島東太郎」と命名され椿家の書生になった。
堀井小夜子(ほりい さよこ)[注 19]
駒子が新宮利彦に犯されて産んだ娘。一彦の異母姉に当たる。1924年(大正13年)6月頃に誕生。幼少の頃から母親に似て美しく、どこか常に憂いを帯び、寂しげで影のある美人。実の父が誰か知らずに育つ。戸籍上の叔父(戸籍上だけの話で血縁はないと本人達は認識していた)治雄と恋仲になり、出征前に夫婦の契りを結び、将来を誓い合う。治雄が出征している間に妊娠が判明。恋人であり胎児の父・治雄が自分の異母兄であるという呪われた事実を母親に教えられ、苦悩し耐えられなくなり、1944年(昭和19年)8月末、妊娠4か月の治雄の子供を宿したまま青酸加里を呷り自殺した。位牌に記されている戒名は「慈雲妙性大姉」。
堀井源助(ほりい げんすけ)
駒子の亡夫で小夜子の血の繋がらない戸籍上の父親。河村辰五郎の弟子の植木職人で、通称「源やん」。旅館・三春園の女将から「みっともない顔」と評される顔立ち。辰五郎から玉虫家の別荘で妊娠させられた駒子を押し付けられる形で結婚した。駒子より7歳年上。押し付けられた駒子に打つ、蹴る、髪を引きずり回す等の暴力を振るっていた。植木職人は辞めて須磨を去った後は神戸で土方のようなことをしており、身持ちを崩した。治雄が19歳で就職するより、かなり前に死去している。
三島家
三島省吾(みしま しょうご)
本物の三島東太郎の父親。椿英輔の旧友。1942年(昭和17年)頃、岡山県立第×中学の
教頭を務めたことがあった。1943年(昭和18年)、脳出血により死亡。
三島勝子(みしま かつこ)
三島省吾の妻。本物の東太郎の母親。1944年(昭和19年)、岡山市大空襲の際に死亡。
三春園(さんしゅんえん)
おかみ(氏名不明)
須磨寺にあった玉虫家の別荘近隣の旅館・三春園の女将。40歳。須磨を訪れ、単身旅行者を泊めてくれる宿がなく困っていた英輔を気の毒に思い、特別に泊める。三春園の家付き娘で、自分の娘時代、夏に玉虫伯爵が別荘に遊びに来る親戚を連れてよく食事に来たのを憶えており、特に同じ年頃で、旅館に親族で食事に来た際、声を掛けてくれた秌子が印象に残っている。ほか、玉虫家に雇われていた植木職人の辰五郎とその娘駒子・幼少期の小夜子について知る。
番頭(氏名不明)
三春園の番頭。英輔を淡路島へ送った明石の漁師を見つけ出した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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