悪魔が来りて笛を吹く
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家人に聞くと、「隣家の植村さん[注 6]の御令息泰一君が練習していらっしゃるのだ」ということだった。横溝はこのときの様子を、「隣家といってもテニス・コートひとつへだてているのだから、相当はなれているのだが、そして、それだけ離れて聞いているのでいっそう身にしみてよかったのだが」とし、「私はこのフルートの音に魅了されたのである」と語っている[6]

このフルートの音と『落陽殺人事件』のテーマを結び付けることを思い立ち、本作の第1弾とした横溝は、息子に命じて上述の植村泰一が練習しているフランツ・ドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』のレコードを買ってこさせ、何度か聞いた上に泰一にも聞いてもらった。また息子の友人でフルート作曲に興味を持っている笹森健英にも来てもらって、両者からいろいろとフルートの知識を受けた[6][注 7]

このとき横溝は笹森に『悪魔が来りて笛を吹く』の曲を作曲してもらって、適当なところへ譜面を挿入するつもりだった。ところが横溝いわく「付け焼刃の悲しさには、フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい、しかも雑誌連載中そこを訂正すると、いっぺんにトリックが暴露する恐れがあるので、結局、譜面を挿入することは見合わせなければならなくなった」という。その後その部分は単行本化にあたって訂正されたが、結局譜面挿入は諦めている[6]

横溝が「フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい」と語っているのは、右手と左手を間違って書いてしまったことである。横溝は最後に楽譜を付けようと作曲を頼んだところ、笹森に「右手[注 8]の指2本ないんじゃ作曲しようがない」と言われたといい、「途中でそう言われたんでガッカリしちゃってね、途中から左でしたって書くわけにもいかないもんね」とこの失敗を笑っている。

本作は華族階級の「斜陽」を描いているが、横溝には「トリックと同時にこういう斜陽の世界を書きたい」との思いがあったという。ちょうど太宰治の名前が出たころで、『落陽殺人事件』との当初の題名で「落陽」としたのも、「斜陽じゃ太宰の翻案みたいだから」という理由によった。執筆については「ぼくは歌舞伎のファンですから、歌舞伎でよく、世界って言いますね。今度は斜陽書いてみようかとか、今度農村書いてみようとか。」と本作取り組みのきっかけについて語っている[9]
ストーリー

1947年(昭和22年)9月28日金田一耕助の元を訪れたのは、この春、世間をにぎわした「天銀堂事件」の容疑を受け失踪し、4月14日に信州霧ヶ峰でその遺体が発見された椿英輔・元子爵の娘、美禰子(みねこ)だった。

「父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。」

父が残した遺書を持参した美禰子は、母・秌子(あきこ[注 9])が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、父が本当に生きているのかどうか砂占いで確かめることになったと説明し、金田一にその砂占いへの同席を依頼する。

麻布六本木の椿家に出向いた金田一は計画停電を利用した砂占いに同席した。その停電が終了すると同時に、家の中に椿子爵作曲になる異様な音階を持つ曲「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート演奏が響く。これはレコードプレーヤーによる仕掛けだったが、その間に砂占いに出た火焔太鼓のような模様に、家族の一部の者は深刻な表情を見せる。美禰子はその絵が死んだ子爵の手帳に「悪魔の紋章」の名で描かれていたことを金田一に告げる。その日の深夜3時ごろ、椿邸に居候している玉虫公丸・元伯爵が殺されているのが発見される。ほぼ同時に椿子爵と思われる男が子爵のフルートを持って屋敷に出現し、フルートの音も短く聞こえた。玉虫殺害現場には、前夜と同じ悪魔の紋章が血で描かれていた。警察は庭から子爵のフルートケースを発見、その中には天銀堂事件で奪われた宝石が入っていた。金田一は等々力警部から子爵を告発したのがタイプ打ちの匿名の手紙で椿家の内部事情に詳しいものであったことを知らされる。そこには、子爵が事件前後に姿を消しており、帰ってくると宝石の換金について書生の三島東太郎と相談したという経緯が記されていた。子爵は長くその行き先を警察に言わなかったが、追い詰められて神戸市須磨であると白状し、確認が取れたことで解放されたのであった。金田一と警部が家人の聞き取りを進めているところへ、焼け出されて同居している秌子の兄・新宮利彦が酒を飲んで乱入、背中にある「悪魔の紋章」そっくりの痣を見せる。

翌日、美禰子は、子爵の遺書が書かれたのが「天銀堂事件」容疑の逮捕前であり、子爵の自殺はその事件以外に理由があることに気付いた。それを聞いた金田一は事件前後の子爵の行動には隠された意味があると判断し、若い出川刑事と共に西に向かった。まず、子爵が宿泊した須磨の旅館「三春園」の女将から、かつて近くに玉虫伯爵の別荘があり秌子もよく見かけたことや、近在の植木屋・辰五郎の娘・駒子が手伝いに上がっている間にそこの誰かの種で妊娠し、辰五郎の弟子の一人と結婚させられて小夜子という娘を産んだことを聞き取る。

金田一は子爵の行動をさらに追跡し、玉虫伯爵の別荘跡で子爵の手になる「悪魔ここに誕生す」という落書きを発見する。一方、出川は辰五郎から跡目を譲られた「植松」を訪ね、辰五郎が空襲で死んだことを知る。彼はなぜか常に強請れる「金づる」を持ち、植木屋をやめて仕事を転々とした挙げ句の死であった。彼の最後の妾はおたまといい、駒子と他の妾に産ませた子・治雄だけが彼の生きた身寄りであった。出川はおたまの居場所を探るが、最近の仕事場を出奔したばかり。そのおたまを、駒子と思われる淡路島の尼・妙海が、玉虫殺害が新聞報道された直後に訪ねてきていた。金田一と出川は淡路島に向かうが、妙海は一足先に殺されていた。彼らは妙海を現場の寺に世話した隣村の住持・慈道から、小夜子の父が新宮であること、小夜子が自殺したこと、妙海が新宮の死を予想したことを聞く。淡路島から帰った2人は新宮が殺されたことを聞かされる。

金田一は単身東京に戻った。彼はそこで新宮が絞め殺されたのが家人がほとんど外出していた間だったことを聞き、その状況が新宮の企みで作られたことを見抜く。新宮は妹から金をせびるために皆を追い出したのだ。

金田一は、モンタージュ写真で引っかかったくらい「天銀堂事件」の犯人と子爵は似ていたはず、今回の犯人は「天銀堂事件」の犯人を手下にしていたという推理を等々力警部に語り、当時の容疑者たちの最近の行動を確認するよう進言する。数日後、「天銀堂事件」の犯人・飯尾豊三郎が増上寺にて惨殺死体で発見された。同日、金田一が岡山県警の磯川警部に調査依頼した返事があり、書生の三島は正体不明の別人であることが判明する。金田一は三島が話す言葉のアクセントからその正体に疑問を抱き、磯川警部に確認を依頼していたのである。同時に、おたまの証言が得られたという出川刑事からの調査報告もあり、小夜子が自殺した時に宿していた胎児の父親が治雄であるらしいこと、治雄の戦傷による右指2本の喪失という身体的特徴が三島と一致することが判明した。

等々力警部と金田一は大雨の中、椿邸に向かった。そこでは秌子の気まぐれで鎌倉に引っ越す準備中。しかも、その最中に秌子が「悪魔」を見て逃げ出すように家を出たという。全員で後を追うが、鎌倉に着いた時、秌子は主治医の目賀が調合した持病の薬に仕込まれた青酸加里により死んでいた。翌日、金田一は残った全員の前でトリックを解明する。その上で犯人を指摘しようとしたところ、三島は自ら犯人であると名乗り出る。彼は新宮が実妹・秌子を犯して産ませた子・河村治雄であり、その左肩には父と同じ「悪魔の紋章」そっくりの痣があった。彼は同じく新宮の子である小夜子をそうとは知らずに愛したが、出征した治雄を待つ間に彼が異母兄であることを知った小夜子は治雄の子を宿したまま自殺した。治雄は彼や小夜子の運命を作った者たちに復讐すべく、子爵を脅して椿家に入り込んだのである。

彼は最後に「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏して見せた。その曲は、戦争で右中指と薬指を欠いた彼でも演奏できるように作曲されていたのだ。彼はそれを演奏し終わると同時に、笛に仕込んだ青酸加里で死んだ。
登場人物
主要人物
金田一耕助(きんだいち こうすけ)
私立探偵。
等々力大志(とどろき だいし)
東京警視庁の刑事。階級は警部。異名は「警視庁の古狸」。東京および近郊で起きた事件における金田一の相棒。数え切れない「天銀堂事件」の犯人だという密告状の送り主も調べずに容疑者を拘束して[注 10]、結局は犯人を逮捕できないままでいた。
椿美禰子(つばき みねこ)
椿家当主の娘、19歳。父・英輔の生死再確認を金田一に依頼した。母と異なりいかつい顔の不美人。ショートヘア。普通より額が露出しており、眼が大きすぎる上に頬から顎へかけてこけているため、顔全体のバランスが取れていない。タイプライターを打つ技術を修得しており、スイス製のものを所持している。事件解決後、屋敷を売り払い伯母や従兄と共に新しい人生を歩み始める。
三島東太郎(みしま とうたろう)
椿家の書生。23 - 24歳。背の高いがっちりとした体格で色白の、にこにこと笑顔のいい愛嬌のある青年。椿家に入る以前は闇市でブローカーをしていた。椿家に関わるようになってから財産売却や食糧調達が巧くいくようになり、「重宝なひと」として不可欠な存在になっていた。英輔の旧友の息子を名乗っているが、実は英輔が選んで与えた偽名であり、本物の東太郎は既に戦病死している。書生・東太郎の正体は復讐劇を繰り広げた犯人「河村治雄」で、英輔が「悪魔」と呼んだ人物である(「河村治雄」の項目を参照)。戦争で中指の半分ほどと薬指の3分の2ほどを失っている。
警察
出川(でがわ)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。金田一と共に須磨や淡路へ出向いた後、阪神地域に残って調査を続け、真相解明の手がかりとなる数多くの事実を明らかにした。
沢村(さわむら)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。椿邸の防空壕で英輔のフルートのケースを発見した。
磯川常次郎(いそかわ つねじろう)
岡山県警の
警部。シリーズの常連だが、本作では金田一との手紙のやりとりでのみ登場。岡山出身と称する三島東太郎の素性に疑問を抱いた金田一の依頼で調査を行い、東太郎は実在したが既に死亡していることを明らかにする。
椿家
椿英輔(つばき ひですけ)
椿家当主、元
子爵。フルート奏者で、フルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」の作曲者。約半年前に43歳で自殺。色は浅黒く額が広く、髪をきれいに左で分けている。鼻が高く、眉がけわしい。女性的印象を受ける人物。妻・秌子とその兄・利彦、2人の伯父である玉虫公丸の横暴に何も言わずにいたが、「悪魔」河村治雄の存在により椿の家名が泥沼に呑み込まれる屈辱に耐えられぬと自殺した。沈黙を守って命を絶ったが、ゲーテの小説『ウィルヘルム・マイステルの修業時代[注 11]と「屋敷の中の誰とも結婚してはならない」という言葉とフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」、玉虫家の別荘跡に残された石燈籠に青鉛筆の文字で「悪魔ここに誕生す」と記す等々で治雄の存在を示した。


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