1991年8月に着工するが、バブル崩壊に見舞われ、93年11月にサッポロビールは、収益の柱となるオフィスビルの賃料を当初計画より4割引き下げるなど事業計画の大幅な修正を行った。これによって収入不足分を補うため、3棟全てを賃貸としていたマンション1棟を分譲に切り替えるなどの決定を下している[9][10]。厳しい事態に直面もしたが、1994年9月に無事に竣工を迎え、10月8日にグランドオープンした[2]。
2008年、サッポロHDは恵比寿ガーデンプレイスの不動産持ち分15%を米・モルガン・スタンレーに売却したが、12年3月に再取得して完全保有している[11]。
設計・構造坂道のプロムナードとセンター広場(2015年)
再開発計画の検討・着手段階からオープンまでは約10年が費やされ、本来はビール会社であるサッポロビールは、大規模開発のノウハウを持たないため、設計に久米設計、施工は大成建設と鹿島建設、または不動産会社、銀行、商社、そして住都公団(現:都市再生機構)などの協力を得て、プロジェクトチームをつくり、プランを練り上げた[12]。
構想案を描いたのが、久米設計設計部副部長だった岡本賢(のち社長)[10]。当時、人と暮らしを豊かにする多用な生活文化に関わっていく方針で経営を進めていたサッポロビールから、この開発でも、人が豊かな時間を過ごせる場をつくってほしいという要望が出されていたことを踏まえ、ビールの故郷であるドイツを訪ね、そこからヨーロッパの成熟した都市空間をイメージした街づくりをしようという議論が起こり、プロジェクトチームで現地視察に赴くことになった[13]。その結果、ヨーロッパの街は路地に入るとそれまでとは別の光景が現れることに着想を得て、低層部は、場所によって別のイメージが現れる都市空間をつくることになり[14]、恵比寿ガーデンプレイスといったときにはっきりとイメージされるような場所が必要だとして形づくられたのが、ゆったりとしたスロープを下り、街の中央の地下1階レベルに大屋根を架け整備されたセンター広場である[14]。この広場のデザインモチーフは岡本によれば、視察でドイツのニュルンベルクの旧市街を訪れたとき出会った広場だという[14]。
開発には総合設計制度が活用され、建物の全容積の35%を地下に設けることで、敷地面積の60%を空地にして緑をふんだんに配置[14]。外壁やペーブメントにはレンガや御影石も多用され、デザインコンセプトである「ヨーロピアンテイスト」が表現されている[15]。また地下空間には1900台収容可能な駐車場、地域冷暖房施設、水の再利用を行う中水道設備、街の各所で発生するごみを1ヶ所に集めて衛生的に処理するごみ空気輸送設備の収集センターなどが設けられた[16]。
オープン20年目には非常用発電機を設置するなどのメンテナンスも行われた[14]。 「ガーデンシティ(庭園都市)」と「マーケットプレイス(商業都市)」の性格をあわせ持った街、という観点から名付けられた[8]。 入り口付近にある建物で、大きなからくり時計が設置されている。からくり時計は毎日12・15・18時の3回、音楽に合わせて人形が登場して時を告げる。 2022年12月6日、ブルーノート・ジャパンがビヤステーション恵比寿跡地に開業する新業態のダイニング[17]。
名称の由来
構成施設
エントランスパビリオン
BLUE NOTE PLACE