恐怖政治
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スターリンは自らに少しでも反対するような様子を見せたら反革命と見做して粛清した(スターリン体制[6]。もっとも、ウラジーミル・レーニンも、皇族、貴族、資本家などを裁判なしで多数処刑しており、スターリンはレーニンの手法を継承・拡大したと考えられている。

ドイツアドルフ・ヒトラーもスターリンなどと並ぶ独裁者とされ、ゲシュタポなどを使って人々を監視・投獄するなどの手法も用いた。だがヒトラーの場合、その主たる政治手法というのは恐怖政治というよりも、巧みな演説術や言葉の抑揚、身振り等によって民衆を熱狂・陶酔させるところに力点があり、ヒトラーの行動というのは当時のドイツ国民の期待に応えているような面も多かった[7]ファシズムを掲げ恐怖政治を行ったムッソリーニ

イタリアではベニート・ムッソリーニが恐怖政治を行い、敵対勢力への弾圧を行った。但し、スターリンやヒトラーの様な大量虐殺や、大規模な収容所の設立には至らなかった。憲兵を使って人々を監視・恫喝・投獄する恐怖政治を行った東条英機

日本でも、東條英機憲兵を用いて人々を監視恫喝投獄するという独裁的、恐怖政治的な手法をとり、一般民衆は監視・恫喝され、言いたいこと言うべきことを言う方法も勇気もなくなってしまったという実態がある、と纐纈厚は指摘した[8](但し、東條英機の在任期間の殆どは太平洋戦争と重複しており、総力戦下の戦時体制は一般的に強権に陥りやすい点は留意する必要がある)。

韓国朴正煕の政権は(批判する人も多いが他方で信奉者も多く、見解が分かれることも多いが)恐怖政治の実態があった、と指摘されることがある[9]

また、開発途上国社会主義国においては、政治の安定や社会の近代化を優先したり、計画経済を推進するために強権統治に陥りやすく、程度の差はあれ恐怖政治を伴う傾向がある。たとえば、現在に至っても、中国のような一党独裁制社会主義国では厳しい言論統制が行われており、政府や最高指導者の方針に批判の声をあげたら警察に逮捕される可能性が十分ある。更に北朝鮮ではもっと極端な独裁政治が行われ、最高指導者に不敬と見なされた場合、最悪公開処刑が処されることに至ります。(開発独裁一党独裁制)。
脚注^ a b c 広辞苑 第六版
^ 参考までにフランス語の定義は【terreur】「 peur collective qu'on fait regner dans une population pour briser sa resistance ; regime politique fonde sur cette peur, sur l'emploi des mesures d'exception」(Le Petit Robert, 1993)
^ Linton, Marisa (August 2006). "Robespierre and the terror: Marisa Linton reviews the life and career of one of the most vilified men in history". History Today. 8 (56): 23.
^ 梶山健『世界の名言臨終のことば』PHP研究所
^ 岡田尊司『パーソナリティ障害: いかに接し、どう克服するか』PHP研究所
^ 武・富田『スターリンの大テロル: 恐怖政治のメカニズムと抵抗の諸相』1998
^ 桐生操『知っておきたい 世界の悪人・暴君・独裁者』2008年
^ 『憲兵政治: 監視と恫喝の時代』 2008
^ 路樹・吉留『朴政権の素顔: その恐怖政治・腐敗政治の実態』1974

関連項目
フランス革命下の恐怖政治関連

公安委員会 (フランス革命)

保安委員会

反革命容疑者法

プレリアール22日法

ジャコバン派

マクシミリアン・ロベスピエール

恐怖政治一般関連

秘密警察特別高等警察公安警察

暴力

密告

右翼左翼

絶対主義絶対王政絶対君主制

スルタン主義体制

革命粛清

人民裁判

吊し上げ


スターリニズム

ファシズム全体主義


人権市民権国民主権民主化

陰謀

オウム真理教 - 日本国内にありながら恐怖政治が実践されてきた団体の著名な例。

中華人民共和国 - 21世紀に入ってもなお恐怖政治を続けている国家。

朝鮮民主主義人民共和国 - 同上。










フランス革命


年表

アンシャン・レジーム

原因(英語版)

革命

立憲王政

共和政

総裁政府

統領政府

 主要事件

1788年

屋根瓦の日(1788年6月7日)

ヴィジーユ会議(英語版)(1788年7月21日)

1789年

第三身分とは何か?』刊行(1789年1月)

レヴェイヨン事件(1789年4月28日)

全国三部会の召集(英語版)(1789年5月5日)

国民議会(1789年6月17日?7月9日)

球戯場の誓い(1789年6月20日)

憲法制定国民議会(1789年7月9日?1791年9月30日)

バスティーユ襲撃(1789年7月14日)

大恐怖(1789年7月20日?8月5日)

人権宣言(1789年8月27日)

ヴェルサイユ行進(1789年10月5日)

1790年

高等法院の廃止(1790年2月?7月)

貴族階級の廃止(英語版)(1790年6月19日)

聖職者民事基本法(1790年7月12日)

1791年

ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月20日?21日)

シャン・ド・マルスの虐殺(1791年7月17日)


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