この項目では、感情の恐怖について説明しています。その他の用法については「恐普B(曖昧さ回避)」をご覧ください。
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恐怖と不安を感じている子供恐怖や驚きの表情を示す子供アブグレイブ収容所で猛犬で脅され恐怖を感じている男性
恐怖(きょうふ)、または恐れ(おそれ)(英: fear)は、動物や人間のもつ感情の一つで、こわいと思うことやその気持ち[1]。 ブリタニカ国際百科事典によると、恐れとは典型的な情動のひとつで、有害な事態や危険な事態に対して有効に対処することが難しいような場合に生じる、とのことである[2]。 ブリタニカ国際百科事典によると、恐れの中でも具体的な事態になっておらず明確な対象があるものが「心配」だという。また、具体的な事態になっておらず、かつ明確な対象もないものが「不安」だという[2]。 事態から逃避しようとする行動の傾向、心拍数の増加、顔面から血の気が引く、震え、発汗などといった身体的反応が伴う[2]。恐れが強い場合は、行動に麻痺が起きる[2]。 河合隼雄は、恐怖について「人間は自分の人生観、世界観やシステムを持ちながら生きているが、それをどこかで揺り動かすもの」と定義したうえで、(主に戦後や平成期の平和な日本で心理学者として活動した河合隼雄は)次のようにのべた。「恐怖はない方がいいように見え、ずっとそういう状態が続くと安心ではあるが、死んでいるのと同じである。生きる体験の中には必ず恐怖が入ってくる。存在を揺るがされるということは、うまくすれば、新しいことが開かれるが、下手をすれば破局を迎える。つまり、恐怖はその両者のちょうど境目になる。さらに、例えば恐怖の対象に「死」があるが、気分的に死への傾倒が強い人には、それは恐怖たりえず、それにどんどん寄り添っていくと生と死の境界自体がなくなり、恐怖は消える。そうなれば、生も死も何の役にも立たなくなる」「現代人は本来的な恐怖というものが非常に少なくなっており、現代人の状態は非常にアンビバレントである」[3]。 14世紀から18世紀ごろの西ヨーロッパではペスト(黒死病)にかかることが非常に恐れられた。 19世紀の英国において最も恐れられた事態は、人々に忘れ去られ、死んだのに誰にも嘆かれず、貧困状態で死に、最後には解剖台に乗せられることであった。20世紀では、多くの人が小児麻痺、身体の一部を不具にし、残りの人生で動かなくなるという病気を患うことを恐れた。 2001年9月11日以降のアメリカ(やヨーロッパ)では、テロリズムに対する恐怖が大きく広がった。 人は、トラウマが残るような事故類を経験すると、その事故を想起させるいくつかの対象に恐怖を感じるようになることもある。また他国に侵略されて住む地域が長期に渡り爆撃や砲撃を受けたり、前線で塹壕戦で迫撃砲の攻撃、どの瞬間でも死ぬ可能性があまりに高いような状況を長期に経験したりすると、その後に戦場から離れても、音量の大きな音を聞くだけで、つまり爆撃音や迫撃砲音に限らず、たとえば工事現場の音やドアをバタンと閉める音などでも、大きな恐怖を感じるようになる。 恐れさせること[4]、相手に恐れの気持をいだかせるために行うことを脅し(おどし)という(日常用語)。脅しというのは、乱暴な行為や乱暴な発言だけでなく、相手が身の危険を感じるような状況になる可能性があるなどとおだやかに言うような発言、つまり言い方はおだやかでも聞いた人が文の意味内容を理解すると恐怖を感じるようなことを、計算づくで意図的に言うことも含む。 法律用語では、特にある行為を人にさせるためおどしつけること、相手に恐れの気持をいだかせるようにしてある行為を強制すること[5]を脅迫という。
概説
特定の事態やものに対して強い恐怖を感じる状態を(それを本人が不都合と感じている場合などに)疾患として位置づける場合、恐怖症と言う。恐怖症は認知行動療法などによって治療できる場合がある。
恐怖の対象、恐怖される状態
恐怖心を感じさせることを意図した行為、それを用いる手法