恋愛
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それに対して、ポーランドギリシャでは、同じタイプの人々で同棲している人の割合は、スペインの1/4しかいない[24]。一方(性的におおらかなことで有名な)スウェーデンでは結婚したカップルの99%がその前に同棲を経験している、という。このようにヨーロッパ内でも国ごとにずいぶんと異なっている。

なおフランスでは恋愛して同棲するとしても、同棲と結婚は切り離して考える人々が増えてきている。フランスでは、そもそも古くからある「結婚」という制度は、男女の間でのお金や財産の移動に関する規定をともなう(女が男の収入をあてにして寄生するような)制度だと、その本質を見抜き、それを嫌う人々の割合が増えてきており、男女が本当に純粋に愛し合うならそんな制度の枠内に入るべきではない、と考え、男女が長年一緒に暮らす場合でも PACSという枠組みを選び、お金はそれぞれ別という方式を積極的に選び、「結婚」という形は断固としてとらない、という人々の割合がすでに5割を超えた。ここ数十年のフランス人は、そういう「金目当て」のような不純なことが相当に嫌いであり、そういうものは抜きでいたい、と男性も女性も望んでいる。特筆すべきことは、金目当ての動機が織り込まれた不純な「結婚」という制度を、女性の側から積極的に断固拒否している、ということである。フランスはジャンヌダルクの国であり、フランス女性は幼いころから物語の本でも歴史の教科書でもじっくりジャンヌダルクの生きざまを読んで育つわけなので、フランス女性の精神のDNAには自立精神、男性に依存したりせずむしろ男性を先導して引っ張ってゆく気骨などが根付いている[要出典]。
異性愛と同性愛

なお、ヨーロッパでも同性愛やポリアモリーなどの恋愛をする人々もいる。

西洋の文学では、男性が男性に恋する気持ち(男性の同性愛の気持ち)も表現されてきた歴史がある。シェイクスピアは『ソネット詩集』で、オスカー・ワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』で、トーマス・マンは『ベニスに死す』で、男性が男性に恋する気持ちを表現した。フランスのジャン・ジュネは『泥棒日記』『薔薇の奇跡』などでそうした気持ちを描写した。

現代歌謡曲でもそうした同性への恋愛感情が表現されているものが多数ある。男性への恋愛感情を打ち明けられない辛さ・悲しさを正面から歌った作品もある。反対に喜ばしくそうした恋愛感情を表現している歌もある。また、(誰にでもあからさまに同性愛と分かってしまわないような婉曲的な表現方法で、あるいはゲイの人や察しの良い聴き手に限って分かるように)さりげなく表現されているものも多い。たとえばエルトン・ジョンの'Your song'『僕の歌は君の歌』、Whamワムジョージ・マイケル) 'Wake Me Up Before You Go-Go'「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」等々等々である。

しかし、女性から女性への同性愛については、女性の社会的地位が低いせいで、話題にのることも少ない。
日本と恋愛
日本語の「恋愛」

日本語で「恋愛」という表現は、1847-48年のメドハーストによる『英華辞典』にみられるのが最古であるが、loveの訳語としてではなく、今日の「恋愛」の意味として辞書に登場したのは明治20年(1887年)の『仏和辞林』でamourの訳語として「恋愛」の語が当てられたのが最初とされる[25]。ただし定着は遅れ、北村門太郎(後の北村透谷)も明治20年では「ラブ」と片仮名表記している[26]。それ以前は、現代人が一般に「恋愛」と呼ぶものについては、「色」、「情」、「恋」、「愛」などと呼ばれた[25]
日本の恋愛の歴史

日本では、古くから恋は和歌文学の主要な題材である。

万葉集』の「相聞歌」や『古今和歌集』に恋歌を見出すことができる。相聞の中でも特に傑作と評価されることが多い2つを挙げる。あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る ? 額田王(巻1・20)紫草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも ? 大海人皇子(巻1・21)紫の上を柴垣ごしに見つめる源氏(土佐光起筆『源氏物語画帖』「若紫」)

また物語文学においても『伊勢物語』や『源氏物語』など、貴族の恋模様を描いた作品が多数ある。この時代、男が女の元へと通う「通い婚」が通例であり、男女は時間を作って愛を育んだ後、女側の親が結婚を承諾して夫婦となった。平安時代の男女の倫理は(後の封建時代と比べて)まだ自由(別の言い方をすれば「おおらか」「だらしない」)であった[27]。貴族の男性は複数の女性と並行的に関係を持ち、ある男性の子があちらこちらの女性の腹から生まれることが一般的、またある女性が産んだ子の父親が一体誰なのかわからない(周囲の人にも、時には産んだ女性自身にも)ということも多かった。

こうした男女倫理が変わったのは封建時代になってからである[27]。平安時代の貴族のような男女倫理では、世の中は乱れに乱れてしまう[27]

関東の名門豪族の娘北条政子は、親の決めた相手を拒否し、一族の命運をかけ、自分が惚れた源頼朝を相手に選んだ。が、源頼朝のほうは京の貴族の習慣を身につけていて(最初は考えが甘く)そうした貴族風の男女関係をそのまま自分の婚姻にも持ちこみ他の女性たちとも関係を持とうとしたが、政子はそれを許しはしなかった[注 3]。二人は互いに強力なパートナーとなり、政子は関東における人脈力や人心掌握力を駆使し鎌倉幕府を盛り立て、頼朝を一流の男に押し上げた。

中世頃には、仏教の戒律のひとつの女犯に関するもの(不淫戒)の影響が見受けられ[注 4]、とくに男性社会の側から恋愛を危険視する(あるいは距離を置くべき対象としてとらえる)傾向が生じた。権門体制を維持する手段として男性が賦役・租税の対象とされる一方、女性を財産ととらえ、交換や贈与の対象とする傾向が確認され、恋愛を社会秩序を破綻させる可能性のあるものとして否定的にとらえる傾向が生じた。この傾向は江戸時代の儒教文化にも受け継がれ、女大学にみられる恋愛を限定的にとらえる倫理観や、家族制度・社会規範に対する献身を称揚する文化に継承された。

明治時代には中流階級では家制度による親が結婚相手を決めるお見合い結婚が多かった。男性にとっては結婚は少なくとも法律上は結婚後の自由な恋愛・性愛を禁ずるものではなく、地位ある男性が配偶者以外に愛人を持つことはしばしば見られた。社会も既婚男性が未婚女性と交際することには寛容であったが、既婚女性が愛人を持つことは法律上許されなかった(姦通罪)。

明治から大正にかけて、文化人を中心としてロマン主義の影響もあって、恋愛結婚が理想的なものとの認識が広まり、大正時代には恋愛結婚に憧れる女性と、保守的な親との間で葛藤がおこることもあった[28]

日本女性は昭和時代から、恋愛小説を読みふけったり、お神籤を引いてその恋愛運に関する文章の文言ひとつひとつに一喜一憂したり、占い師に恋愛相談をしてみたり、恋愛成就のお守りを買ってみたり、ということさかんにし、令和でもそれは続いている。だが、日本男性のほとんどは、それらのことは(昭和時代でも平成時代でも)一切せず、一般にそういったことには興味が無い[要出典]。

高度経済成長期以降は、恋愛結婚の大衆化により、恋愛は普通の男女であれば誰でもできる・すべきものだという風潮が広がった。また、1980年代後半から1990年代初頭のバブル景気の日本では恋愛で消費行動が重視される傾向があったとされ、「この時(イベント)にデートするならばここ(流行の店など)」「何度目のデートならどこにいく」というようなマニュアル的な恋愛が女性誌や男性向け情報誌、トレンディドラマなどで盛んにもてはやされた[要出典]。

現代では、親の意向にのみ基づいたお見合い結婚の割合はかなり少なく、夫婦の間の愛情を重視する恋愛結婚が大多数となり、お見合い結婚であっても本人の意向を尊重するものが多くなった[29]

いっぽう恋愛の世界で格差社会化が進んでいるとし、「恋愛資本主義」、恋愛資本による「魅力格差」、「恋愛格差」などという言葉も用いられている。このような情勢のなかで恋愛や性交渉を経験したことがない中年層が増加しつつあると分析する者もいる[30]。また、世の中に「モノ」が大量に溢れる中で、カップルの低俗化が指摘されることも増えた。次第に日本男性は女性に興味を示さなくなり(あるいは日本の女性というのは、自分が恋愛の対象にするほどの価値はない、と若い日本男性は冷静に(冷めて)判断するようになり)[要出典]、2006年には「草食系」という用語で、そうした(恋愛への意欲を感じない)男性が呼ばれるようになった。

近年は若い男女の恋愛離れが叫ばれており、日本テレビはその例として「交際相手が欲しい」と答えた新成人の割合が2000年は男性が91.6%、女性が88.5%だったのに対し、2016年は男性が63.8%、女性が64.2%だったこと、実際に交際相手がいる新成人が1996年は50%だったのに対し、2016年は26.2%だったことを挙げている。恋愛離れの原因として、非正規雇用の増加やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及などが挙げられている。マーケティングライターの牛窪恵は「非正規雇用や年収が低い男性は『どうせ自分なんか』と自己肯定感が低く、自分から女性に声をかけようとしない」と分析。


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