思考
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心理学分野の研究では、思考とは何らかの思想問題対処法を立ち上げる心の過程や操作を示し[1]、その対象は問題解決、方略、推理、理解、表象(心像、観念、概念など)知識といった現象を取り扱う[7][6]

漢字「思考」の「思」は、「田」が頭蓋骨の意味が転じた「頭脳の活動」、「心」が「精神の活動」を指す。「考」は知恵の意味「老」に終わりなく進む「て」が付属したものである。漢字全体では、頭や心で活動し、知恵を巡らせることを意味する[8]

思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、知能生命、さらに社会など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、複雑系を構成する要素として組織的に扱う必要がある[9]イマヌエル・カントは、近代的な個人の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、公開し、主観共有する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「未成年状態」と定め、それを脱却するために啓蒙が必要と説いた。したがって、言論の自由とは意思発表する権利という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた[10]
思考の意味オーギュスト・ロダン考える人
広義と狭義

思考とは、何らかの事象や目標などの対象について考える働きまたは過程の事であり[11][6]、対象となるものの意味を知る、または意味づけを行うことで働かせる理性的な[12]の作用を言う[13]。これには二つの意味がある[14]

広義には「心」が動くことそのものを言い[14]、「内化された心像・概念・言語を操作すること」[15]である[12]。このような意味では、思考とは、心の中で自発的につくられた観念が、時間の経過とともにそれぞれが連鎖し変遷する「心的過程」のひとつと言うことが出来[16]、人間は常に何かを思考している[14]。逆に思考をしないためには心をにする特別な修練を積む必要がある[14]

狭義には、何らかの目標達成や問題解決のために行う一連の情報処理を指し、思考する対象の意味を理解しながら進められる認知的な行動である[14]。ここで思考が使う情報とは、記憶の中に分布するホログラムと言える[17][18]。そして思考は、組織化された外部情報を成分要素とする内的なシミュレーションと定義される[12]。これによって人間は様々な予測を得る。しかし、その予想精度には、精確で豊富かつそれらが有機的に繋がった情報(知識)を元に精確なモデルを構築し、それをさらに精確なシミュレーション(思考)に掛ける必要がある[12]
特徴

狭義の思考は情報処理のひとつである。ただしそれは断片的な情報を連想で引き出しつつ論理的に繋ぎ合わせながら[19]言語やイメージを用いて行う内的なもので、思考自体は直面した問題に対応してどのような行動を取ることが適切かという回答を捻出する努力を払っているまでの状態と言え[20]、その際に外部へ向けた行動は止まっている[21]。しかし思考を孤立したものと捉えるのは間違いであり、問題に直面して行き詰まったような場合に行動へ修復をかけるための手段としても活用される[22]。この意味では、思考は一連の行動におけるひとつの要素と言える[22]

ジル・ドゥルーズは、思考を「解釈でなく、実験」と言う[23]。これは、解釈が対象を解釈者の範囲の中に入れ込んでしまう行動なのに対し、思考は限定される範囲が無い創造的活動だという主張である[24]

雑念や空想も思考の一形態である。ただし一般に言われる思考とは本人が意図して取り組む自主的なものという受け取られ方をしており、それに対して雑念は「浮かぶ」「湧く」などの自動詞で表現される通り、意図せず偶然に侵入してくる邪魔者のような観念で捉えられ、空想とは異なり好ましくは見られていない。雑念恐怖症のように神経症のひとつにも受け取られる。しかし、両者は明瞭に区別できるものではなく、瞬間的な何かの思いつきなどを継続して考えれば思考になり、継続させたくないという意思が働けば雑念になるとも言える。そしてこのような刻々の思いつきは人間にとって自然な事である[25]

ギルバート・ライルは、思考の本質として以下の特徴を挙げている。1) 必ず新奇な事象を含む。 2) 状況に敏感に反応し、修正や新しいルーチンを作り出す。 3) 目的のため多様なルーチンを用いる。 4) 試行錯誤と見直しを繰り返すため、必ずしも合理的、正当とは言いがたい。 5) 過去に学習で得たルーチンを一般化し別の状況に適合できる。 6) 階層的であり、背景に期待や疑いなどが介在する。ライルはまた、思考とは特定の技術技能を行使するものという意見にも反対する。思考とは確立された技術などと異なり、必ずしも結論に至るものではない。思考の過程とは成功への道筋が存在しない中で、暫定的、実験的、懐疑的なさまざまな糸口らしきものを探し、失敗にも多く行き当たりながら思索を進めるものと論じた[26]

人間の思考とは、対称モードと非対称モードが混合する、いわゆる複論理的構造 (bi-logical structure) を持つという。非対称モード(非均質モード)とは純粋理論に相当する。それに対し対称モードとは本来対称と取らない二項(例えば「全体」と「部分」、「質」と「量」など)を対称的に捉え、それらを無意識に圧縮や置き換え、時間性の無視、相互矛盾の無視、外的と内的の取り替えなどを加える[27]
人間と動物の違い

昆虫動物が高い選択性をもって行動している場合があり、それはまるで思考をめぐらせて得られた結論から起因したもののように見える事がある。しかし、実際にはそれぞれが生存繁殖する上で必要な刺激情報を感覚的に取り入れて行う本能行動に過ぎず、たとえ学習を経て会得した高度な行動パターンでもこの域を出ない[28]

例えば、メスダニ交尾を終えると哺乳類が通り過ぎるのを待ち、その体へ移る。だが動物が通ることは非常に稀で、そのためダニは場合によっては数年間も待ち続け、数少ない機会を選択して飛び移る。この行動は一見外部情報をダニが選択し、思考を巡らせて飛ぶか否かを決めているように見える。しかしその実態は動物の体が放つ酪酸に反応するだけで、あらかじめ身体に仕込まれた反射行動でしかない。を守る親鶏の行動も思考し選択をしているように見えるが、これも雛の鳴き声という部分的な信号によって誘発される行動であり、見掛け思考をしているようであってもその実は限定された感覚的情報に突き動かされた本能的反応でしかない[28]

人類に近いチンパンジーについて、ドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーは、手が届かないバナナ道具を使って取らせる実験(『類人猿の知恵試験』[29])を行い、思考についての考察を纏めた。それによると、とバナナが同じ視野に入らない場合、チンパンジーがバナナを獲得することは非常に困難になる。また、無用なものも含めた複数の道具がある状況では、成功するまで数々の道具を使った試行錯誤を繰り返す。これらは、バナナを見つけたチンパンジーは本能からそれを手に入れることへ行動エネルギーがベクトル[要曖昧さ回避]化され、実は有用な道具類も同時に見えない限り意味を見出せず、視線を外したとたん切捨てられる傾向があるためである。また、複数の道具の有用性を事前には想像できず、試さなければ判らないという点も汲み取れる[28]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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