狭義には、何らかの目標達成や問題解決のために行う一連の情報処理を指し、思考する対象の意味を理解しながら進められる認知的な行動である[14]。ここで思考が使う情報とは、記憶の中に分布するホログラムと言える[17][18]。そして思考は、組織化された外部情報を成分要素とする内的なシミュレーションと定義される[12]。これによって人間は様々な予測を得る。しかし、その予想精度には、精確で豊富かつそれらが有機的に繋がった情報(知識)を元に精確なモデルを構築し、それをさらに精確なシミュレーション(思考)に掛ける必要がある[12]。 狭義の思考は情報処理のひとつである。ただしそれは断片的な情報を連想で引き出しつつ論理的に繋ぎ合わせながら[19]言語やイメージを用いて行う内的なもので、思考自体は直面した問題に対応してどのような行動を取ることが適切かという回答を捻出する努力を払っているまでの状態と言え[20]、その際に外部へ向けた行動は止まっている[21]。しかし思考を孤立したものと捉えるのは間違いであり、問題に直面して行き詰まったような場合に行動へ修復をかけるための手段としても活用される[22]。この意味では、思考は一連の行動におけるひとつの要素と言える[22]。 ジル・ドゥルーズは、思考を「解釈でなく、実験」と言う[23]。これは、解釈が対象を解釈者の範囲の中に入れ込んでしまう行動なのに対し、思考は限定される範囲が無い創造的活動だという主張である[24]。 雑念や空想も思考の一形態である。ただし一般に言われる思考とは本人が意図して取り組む自主的なものという受け取られ方をしており、それに対して雑念は「浮かぶ」「湧く」などの自動詞で表現される通り、意図せず偶然に侵入してくる邪魔者のような観念で捉えられ、空想とは異なり好ましくは見られていない。雑念恐怖症のように神経症のひとつにも受け取られる。しかし、両者は明瞭に区別できるものではなく、瞬間的な何かの思いつきなどを継続して考えれば思考になり、継続させたくないという意思が働けば雑念になるとも言える。そしてこのような刻々の思いつきは人間にとって自然な事である[25]。 ギルバート・ライルは、思考の本質として以下の特徴を挙げている。1) 必ず新奇な事象を含む。 2) 状況に敏感に反応し、修正や新しいルーチンを作り出す。 3) 目的のため多様なルーチンを用いる。 4) 試行錯誤と見直しを繰り返すため、必ずしも合理的、正当とは言いがたい。 5) 過去に学習で得たルーチンを一般化し別の状況に適合できる。 6) 階層的であり、背景に期待や疑いなどが介在する。ライルはまた、思考とは特定の技術や技能を行使するものという意見にも反対する。思考とは確立された技術などと異なり、必ずしも結論に至るものではない。思考の過程とは成功への道筋が存在しない中で、暫定的、実験的、懐疑的なさまざまな糸口らしきものを探し、失敗にも多く行き当たりながら思索を進めるものと論じた[26]。 人間の思考とは、対称モードと非対称モードが混合する、いわゆる複論理的構造 (bi-logical structure) を持つという。非対称モード(非均質モード)とは純粋理論に相当する。それに対し対称モードとは本来対称と取らない二項(例えば「全体」と「部分」、「質」と「量」など)を対称的に捉え、それらを無意識に圧縮や置き換え、時間性の無視、相互矛盾の無視、外的と内的の取り替えなどを加える[27]。 昆虫や動物が高い選択性をもって行動している場合があり、それはまるで思考をめぐらせて得られた結論から起因したもののように見える事がある。しかし、実際にはそれぞれが生存や繁殖する上で必要な刺激情報を感覚的に取り入れて行う本能行動に過ぎず、たとえ学習を経て会得した高度な行動パターンでもこの域を出ない[28]。 例えば、メスのダニは交尾を終えると木の枝で哺乳類が通り過ぎるのを待ち、その体へ移る。だが動物が通ることは非常に稀で、そのためダニは場合によっては数年間も待ち続け、数少ない機会を選択して飛び移る。
特徴
人間と動物の違い