思念
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この情報とは、短期記憶や思考する際に五感から得られた外的情報でなければならない事は無く、過去に得た知識を用いた[38][6]経験的な長期記憶連想などだけでもよい[14]

コンピュータなど情報機器は、思考を支援することができる。思考する対象の情報を得て理解する段階にて、情報を得る早さや検索機能など適切な情報に行き当たる確率の向上、そして絶対的な情報の多さや統計的な整理、図案化など理解しやすい表現などが可能となる。また、具体例を示したり、情報の属性に応じた検索などは洞察を深め発想に繋がる。記憶の蓄積や操作、整理統合にも役立ち、この点は思考過程を一部外化していることになる。これらの思考支援機能の各要素を同じ環境下に備える「統合的思考支援環境」の開発は、情報処理機器の研究開発が目指すひとつの目標となっている[37]
思考の過程

思考とは、何らかの事象へ反射的に行われるものではなく、複雑な内的過程を経て結論へ導かれる考え[39]である[6]。この過程を段階的に捉える試みは数多くあり、多様な説明がなされている。

次の例では、思考過程を5つの過程で説明する。1) 分析では、単位情報をそれが持つ要素や性質まで分解すること 2)総合では、分解した要素や性質に着目し情報を結合させること 3)比較では、分解した要素や性質を比較して情報間の相違や類似部分を洗い出すこと 4)抽象では、情報の本質は何かを見出すこと 5)概括では、見出した情報の本質をまとめ上げることである[2]

思考には不可欠である言葉(ロゴス)と関連させ、思考‐言語を相関させた3段階で成された説明もあり、これは思考の「概念」「判断」「推理」を言語の「名辞」「命題」「推論」の作用と対応させている。思考は先ず、「概念 (concept)」の形成から始まる。これは複数の対象に共通する特徴を把握し、それらを包括的・概括的に認識することにあり、対象群を抽象化する過程、本質的な特徴を見極めること[40]でもある。この把握された特徴は言葉によって表され(「名辞」)、概念として認識されることになる。このような特徴は、名辞された言葉が持つ意味内容と紐付けされた内包 (intension) 要素と、言葉が適用される対象の範囲を示す外延 (extension) 要素の2つで構成される。概念が構成されると、次にそれらを組み合わせて大きな単位を作る段階である「判断 (judgment)」 ‐言語単位では「命題 (proposition)」 ‐に入る。これは対象である存在 (being) とその性質や特徴を示す属性 (attribute) または複数の対象間にある関係 (relation) について、主語客語‐連辞という文章形式で組み立てられる[41]。判断が構成されると、次にこれを前提に置いて結論が導き出される[42][43]。この過程は「推理 (inference) 」‐言語単位では「推論」‐と呼ばれ、ひとつ以上の真実と思われる判断を元に、別の判断を真実とみなす思考の作用である[40]。この推理を進める方法には、経験を排除し論理に基づいて結論を導く演繹的推理と[44]、個別事情を勘案しそこから一般的な結論を見出す帰納的推理がある[45]。推論の種類には、ひとつの判断から直接的に別の判断の真偽を判定する直接推論と[46]、いわゆる三段論法のように2つの判断から結論を導く間接推論[43]がある[47]

数学における反省的思考という範疇では、ジョン・デューイは思考とは5つの段階を踏むと提唱した。1) 暗示、2) 知性的整理、3) 仮説(指導的観念)、4) 推理作用、5) 仮説の検証 をそれぞれ踏む事で問題解決を成すという。これは、対象が記号化・言語化され、感覚的に捉えたそれら情報を意識的か否かに関わらず論理的に斟酌する行動を指す[48]
言語と思考

思考とは言葉の操作であり[49]、これを指してプラトンは「思考」を自分自身との内的な「対話」と呼んだ[50]。同様に藤沢令夫は、思考とは言葉(ロゴス)を発する本人が同時に発する言葉を聞く行為が必ず付随するため、結果的に自己内で対話(ディアロゴス)をしている状態になり、これが思考の本質でありそのダイナミズムを適切に表現していると論じた[51]。ただし、現象学を研究するエトムント・フッサールは、この対話とは通常のコミュニケーションと比較すると「告知作用」に欠け、「意味作用」のみの働きと分析している[52]

思考と言語が密接に関係するということは、言葉が曖昧なものだと、それが言語を超越した直感でも無い限り思考の内容である語義と意図が曖昧であることを意味する[49]。また、サピア=ウォーフの仮説では、思考は言語構造に規定されるということ(言語相対性仮説)が提案されている。これは、何らかの対象について思考する際、それぞれの人間が使う言語が持つ個別概念が影響を及ぼすというものである。例えば本来区切りが無いについて、ある言語で「虹は六色」、他では「七色」と分類されていると、それを使う人間の思考では虹はそれぞれの数の色分けをして然るべきという認識が課せられる[53]

思考と言葉の関係そのものについても、それぞれの言語種類で捉え方に違いがある。日本語では両者は分けられる傾向にあり、「声に出して思考する」という表現は馴染まない。しかしドイツ語の分離動詞「nachdenken」には「熟考する」という意味の他に、副詞と結びついて「laut nachdenken」では「熟考した結果を公にする」という意味を持つ。日本語の思考では頭(または心)の中だけの行動と取られがちだがドイツ語では思考と言葉を同じものとみなす傾向があり、細分すると思考は表現する前の言葉であり、言葉は表現した思考となって、両者は本質的に同じものと捉えられている[54]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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