思念
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この推理を進める方法には、経験を排除し論理に基づいて結論を導く演繹的推理と[44]、個別事情を勘案しそこから一般的な結論を見出す帰納的推理がある[45]。推論の種類には、ひとつの判断から直接的に別の判断の真偽を判定する直接推論と[46]、いわゆる三段論法のように2つの判断から結論を導く間接推論[43]がある[47]

数学における反省的思考という範疇では、ジョン・デューイは思考とは5つの段階を踏むと提唱した。1) 暗示、2) 知性的整理、3) 仮説(指導的観念)、4) 推理作用、5) 仮説の検証 をそれぞれ踏む事で問題解決を成すという。これは、対象が記号化・言語化され、感覚的に捉えたそれら情報を意識的か否かに関わらず論理的に斟酌する行動を指す[48]
言語と思考

思考とは言葉の操作であり[49]、これを指してプラトンは「思考」を自分自身との内的な「対話」と呼んだ[50]。同様に藤沢令夫は、思考とは言葉(ロゴス)を発する本人が同時に発する言葉を聞く行為が必ず付随するため、結果的に自己内で対話(ディアロゴス)をしている状態になり、これが思考の本質でありそのダイナミズムを適切に表現していると論じた[51]。ただし、現象学を研究するエトムント・フッサールは、この対話とは通常のコミュニケーションと比較すると「告知作用」に欠け、「意味作用」のみの働きと分析している[52]

思考と言語が密接に関係するということは、言葉が曖昧なものだと、それが言語を超越した直感でも無い限り思考の内容である語義と意図が曖昧であることを意味する[49]。また、サピア=ウォーフの仮説では、思考は言語構造に規定されるということ(言語相対性仮説)が提案されている。これは、何らかの対象について思考する際、それぞれの人間が使う言語が持つ個別概念が影響を及ぼすというものである。例えば本来区切りが無いについて、ある言語で「虹は六色」、他では「七色」と分類されていると、それを使う人間の思考では虹はそれぞれの数の色分けをして然るべきという認識が課せられる[53]

思考と言葉の関係そのものについても、それぞれの言語種類で捉え方に違いがある。日本語では両者は分けられる傾向にあり、「声に出して思考する」という表現は馴染まない。しかしドイツ語の分離動詞「nachdenken」には「熟考する」という意味の他に、副詞と結びついて「laut nachdenken」では「熟考した結果を公にする」という意味を持つ。日本語の思考では頭(または心)の中だけの行動と取られがちだがドイツ語では思考と言葉を同じものとみなす傾向があり、細分すると思考は表現する前の言葉であり、言葉は表現した思考となって、両者は本質的に同じものと捉えられている[54]

思考は人間の知能を知る上で重要な要素である。しかし、知能の解明は未だ不充分であり、その背景には本来密接に関連する思考と言語がばらばらに研究されてきた事がある[2]

このような思考と言語の関係について、ギルバート・ライルは異なる観点を提示している。多くある思考は自分自身への語りかけであり言語またはシンボルの形態を取るという意見に反論し、ライルは思考過程において言語が使われてもそれは思考が目標に向かう過程で経由した単なる段階でしかなく、誰かに聞かせる意図を持つものではないと論じ、思考は言語に限らない多くの伝達手段を自己に対して実験的に投げかけているものだと主張した[26]。思考は言語を基礎に行われるが、それだけではなくイメージなども関与する。また、感情や動機づけなども影響を与える複合的な過程である[37]
思考の種類

思考を説明するに当たり、論理的思考など「…的思考」という表現などが使われる事が多い。以下ではいくつかの例を示す。

「論理的思考」の定義は様々である。これについて井上尚美は、3つの定義を提唱した。狭義では推論が形式論理学の規則に従っている事を挙げ、次に論証の形式である前提‐結論や主張‐理由という骨格がある事、広義には直感やイメージからの思考ではなく概念的思考である事としている[55]。この論理的思考は、直感的発想にある正確性や明示性に欠ける点を補い、妥当なものかどうかを確認・察知する有効な手段であり、前提を漏れなく明示しつつ真偽を検証し、さらに推論のプロセスを明瞭にして検証可能な状態にすることができる[56]。しかし、論理的思考で得られた結論が必ず正しいとは言い切れず、また絶対に結論を得られるものではない点にも留意する必要がある[57]

アメリカ合衆国の高等教育において重要な目標とされる[58]「批判的思考」の定義は明瞭ではなく、研究者の間でも把握概念に違いが見られる[59]。ひとつの有力な説明では「信じるもの、取るべき行動の判断を下に当たって行う反省的思考」[60]と言い、具体的な説明では「根拠に基づく評価と判断を行う能力と意思」[61]と言う[62]

「白黒はっきりつける」「ものの善悪」など、二律背反で事象を思考する傾向を「二分法的思考」と言う。これは情報の理解や思考の結果である判断を素早く下せる利点があるが、一方でパーソナリティ障害[63]完全主義[64]および人間関係の悪化に繋がる場合もある。二分法的思考は、物事を明確にしたいという「二分法の選好」、物事は2つのグループに分けられるという「二分法的信念」、そして自分にとって利益があるものか否かという「損得勘定」の3つの因子が影響している[65][66]

心理学者のアーヴィング・ジャニスが提唱した「集団思考」(Groupthink、集団的浅慮)は、集団で思考して得た結論が、時に個人の思考で導いた結論よりも不合理であったり間違っていたりすることを指す。


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