応仁の乱
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しかしこれは越前・遠江守護代甲斐常治の意を受けた日野重子(義政の母)の反対により頓挫した。さらに、畠山家内部でも重臣神保氏遊佐氏は持富の廃嫡に納得せず、持国の甥で持富の子弥三郎を擁立するべきと主張した(持富は宝徳4年(1452年)に死去)。

このため享徳3年(1454年4月3日畠山持国は神保国宗を誅殺した。この畠山氏の内紛に対し、細川勝元山名宗全、そして畠山氏被官の多くが、勝元と宗全の下に逃れた畠山弥三郎・政長兄弟を支持し、8月21日に弥三郎派が持国の屋敷を襲撃した。難を逃れた畠山持国は8月28日に隠居させられ、義就は京都を追われ、足利義政は弥三郎を家督継承者と認めなくてはならなかった。一方で、弥三郎を匿った細川勝元の被官の処刑も命ぜられ、喧嘩両成敗の形も取られた。しかし山名宗全はこの命令に激怒し、処刑を命令した義政とそれを受け入れた勝元に対して反発した。足利義政は宗全追討を命じたが、細川勝元の嘆願により撤回され、宗全が但馬国に隠居することで決着した。12月6日に宗全が但馬国に下向すると、13日に義就が軍勢を率いて上洛して弥三郎は逃走。再び畠山義就が家督継承者となった[3]

なお、文安4年(1447年)に勝元が宗全の養女を正室として以来、細川・山名の両氏は連携関係にあった。
管領細川勝元と畠山義就の対立

翌享徳4年3月26日1455年4月12日)に畠山持国は死去し、畠山義就が畠山氏の家督を相続した。義就は弥三郎派の勢力を一掃するため、領国内で活発な弾圧を行った。この最中、義就は義政の上意と称して軍事行動を行ったため、義政の信任を次第に失った。さらに義就は勝元の所領である山城国木津を攻撃、細川勝元は弥三郎を擁立することで義就の追い落としを計画した。一方で山名宗全は、長禄2年(1458年)に赦免され、同年に義就と共に八幡神人討伐に参陣した頃から親義就派となっていった[4]。長禄3年(1459年)には弥三郎が赦免され、上洛を果たしたがまもなく死去。代わって政長が勝元と弥三郎派の家臣団に擁立された。

寛正元年(1460年9月20日には義政によって政長の畠山氏家督が認められ、義就は追放された。義就は河内嶽山城に籠もって徹底抗戦を図ったため義政は追討軍を発し、義就を攻撃させた(嶽山城の戦い)。しかし義就は寛正4年(1463年4月15日まで攻撃を耐え抜き、嶽山城が落城した後は紀伊国、次いで吉野へ逃れた[5]
足利義政の関東政策と斯波氏

一方、関東では、享徳3年(1455年)に幕府に叛旗を翻し享徳の乱を起こした鎌倉公方(後に古河公方足利成氏を討伐するため、長禄元年(1457年)足利義政は、異母兄の足利政知を新たな鎌倉公方として関東に派遣したが、政知は鎌倉へ下向できず、長禄2年(1458年伊豆国堀越に留まった(後の堀越公方)。足利義政は斯波義敏を始めとする成氏追討軍を派遣しようとしたが、義敏が執事の甲斐常治内乱を起こしたため更迭、息子の松王丸(義寛)を斯波氏当主に替えた。さらに寛正2年(1461年)、足利義政は斯波氏の家督を松王丸から、足利政知の執事である渋川義鏡の子・斯波義廉に替え、堀越府の軍事力強化を企図した。しかし、渋川義鏡が扇谷上杉家上杉持朝と対立し、その後失脚したため、足利義政は斯波義敏の復権を画策した[6]。詳細は「武衛騒動」を参照
足利義政と政所執事

畠山氏や斯波氏の他にも、富樫氏小笠原氏六角氏でもお家騒動が起こっている。幕府はこれらの調停も行ったが、対応が首尾一貫せず、守護家に分裂の火種を残した。この政策は、室町幕府政所執事であり、義政側近の伊勢貞親が、将軍権力の向上を企図して主導したものであった。さらに、寛正4年(1463年)8月、義政の母日野重子が没し、大赦が行われ、畠山義就、武衛騒動で失脚した斯波義敏ら多数の者が赦免された。

この前後の一貫性のない幕府・朝廷の対応を興福寺別当尋尊は「公武御成敗諸事正体無し」と批判している。しかし、この大赦には、斯波義敏の妾と伊勢貞親の妾が姉妹であることや、細川勝元への牽制などの動機があった[7]。ところが、この伊勢貞親の政策の裏では、中央から遠ざかっていた山名宗全が斯波義廉に接近、畠山義就、伊予国や安芸国で細川勝元と対立する大内政弘とも提携、反勢力の中核となっていった[8]

また、嘉吉の乱鎮圧に功労のあった山名宗全は主謀者赤松氏の再興に反対していたが長禄2年(1458年)、勝元が宗全の勢力削減のため、長禄の変で赤松氏遺臣が功績を立てたことを根拠に赤松政則加賀守護職に取り立てたことから両者は激しく対立した。

後に勝元が養子で宗全の末子豊久を廃嫡したことが応仁の乱の一因となったともされる。
足利義視の還俗と義尚誕生

足利義政は29歳になったが今だ子はなく、生存している足利宗家の男子は3名のみと断絶が危惧される情勢にあった[9]


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