志村けん
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^ もっともドリフターズのメンバーはテレビでのコメディアン路線とは別に松竹及び東宝で製作・公開された映画に主演俳優として出演しており、正式加入前の付き人時代に度々チョイ役で出演している。出演作品のオープニングには、本名の志村康徳名義でクレジットされている(2018年10月からBS11で放映が始まったドリフターズ映画の番宣では、志村の出演作だと「この人も出演!」と、登場シーンをピックアップする形で紹介されている)。
^ シンコーミュージック・エンタテイメントのサイトで『jam』のレビューから10本が読める。志村が紹介したアーティストはプリンスマイケル・ジャクソン&ジャクソンズスティーヴィー・ワンダー、テディ・ペンダーグラス、ダイアナ・ロスなど[93]
^ エッセイ『変なおじさん』によると、志村に限らずドリフのコントは言葉よりも動きによる笑いに重点を置いていたため、日本語のあまり通じない外国人にも受けが良かったとのこと。これと同様のことは、いかりやの自伝『だめだこりゃ』でも説明されている。
^ ファントム VIIを2007年に購入。
^ ロールスロイスとキャデラック
^ なお、志村が死去した翌日(2020年3月30日)のテレビ東京系ニュース『ゆうがたサテライト』にて志村の訃報を伝えた際にも、イベント出席当時の駅長姿の志村の映像が使用された。
^ 『徹子の部屋』では同番組出演経験がある著名人が死去した場合に追悼特集を放送することがあるが、志村は一度も同番組に出演していないため資料映像がなく、志村の追悼特集を放送することが出来なかった。なお、黒柳徹子とは同じくテレビ朝日系列の『戦うお正月』にて共演していた。
^ 調査対象は日本の人口バランスに合わせた比率の10代?70代(2,000人)で、全国のあなたの街に住みます芸人による街頭調査およびリサーチ会社による調査を行った。ノミネートされた人物の中には戦国武将などの歴史的人物も含む。
^ 「“俺のほうがもっとウケますよ”と志村さんが意見することが増えていった」「“それほど言うなら志村、お前がやってみろ”と『全員集合』が終わるまでの数か月は、志村さんがすべてのコントを作ることになったんです。でもそれからです、2人がギクシャクし始めたのはね……」(週刊女性2020年5月5日号)
^ 1998年には『ドリフ大爆笑』の収録で「“いかりやさんとは一緒にやれない”“番組を降りる”とまで言い出して収録をボイコットすることもあった。慌てたスタッフが折衷案を出して、いかりやさん、仲本さん、高木さんの3人と、志村さんと加藤さんの2人でコントをするという具合に、メンバーを完全に分けて撮るように」(週刊女性2020年5月5日号)
^ いかりやとの確執が噂された時期の志村は「だいじょうぶだぁ」と「ごきげんテレビ」の収録の合間に「大爆笑」の収録をしていた。また、「だいじょうぶだぁ」と「大爆笑」のスタッフがほぼ同一であったため「だいじょうぶだぁ」収録時に「大爆笑」のコントも収録していた。この時期は志村以外のメンバーも個々がそれぞれのスケジュールの合間で収録をして、それをひとつの番組として放送している。志村以外のメンバーも「全員集合」終了後は個々に活動する合間で「大爆笑」の収録をしていたので、「大爆笑」が唯一ドリフとして活動する期会になっていた。上記の2番組の放送終了後は「大爆笑」で「全員集合」時代の公開コントや「大爆笑」放送初期のコントを再現することもあり、いかりやと志村の共演が復活している。「全員集合」終了後は一緒に番組をしていた加藤、志村と他の3人に分かれるケースが多く、この時期から「雷様」や「バカ兄弟」といったカトケン以外のメンバーがメインのコントが増え始めた。
^ リーダーの元にザ・ドリフターズのメンバーが集まった。20日夜、東京・目黒区のいかりや長介さん(72)の自宅には、加藤茶(61)志村けん(54)高木ブー(71)らが駆けつけた。日刊スポーツ2004年3月20日アーカイブ(web.archive.org)なお、仲本は仕事の都合で死亡当日に弔問することはできなかった。
^ 志村が観客から失敬してきたスイカを、いかりやが一緒になって食べてしまったりなど。
^ 志村は『ダウンタウンDX』に頻繁に出演していたが、ドリフメンバーで志村と一緒に出演したのは加藤と高木だけである。
^ 志村が自身のブログで明かしている(Kens BLOG「さすが」(2009年5月4日))。また、2009年2月9日放送『しゃべくり007』スペシャル内や『となりのマエストロ』の記者会見(志村けんが激励「『欧米か!』一生涯やれ」 - スポーツ報知(ウェブ魚拓)(2009年10月5日))などでも同様の発言があった。
^ 荒井注の何だバカヤローのアレンジ。
^ もともとドリフ加入後最初に生み出したギャグだったが、当時は評価されず、東村山音頭でブレイクしてから一般に日の目を見るようになった。
^ 企業名は毎回異なる。
^ 枝雀の関係者によると、志村は枝雀の東京歌舞伎座「桂枝雀独演会」(1984年3月28日開催)に観客として来場していたとのこと[142]。また、ビートたけしは志村の没後に「お笑いに対するスタイルで言うと、けんちゃんはやっぱり枝雀さんなんだよね」と述べている[143]

出典^ a b c “志村けん”. イザワオフィス. 2020年8月31日閲覧。
^ a b “新型コロナで志村けんさん死去 急逝に驚きと悲しみ”. テレビ朝日. (2020年3月30日). https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000180414.html 2020年3月30日閲覧。 
^ a b “コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症”. NHK. 2020年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
^ a b “志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎”. 日本経済新聞. 2020年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。
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