志木市
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古代の律令制施行による国郡里制以来の武蔵国新羅郡(しらぎぐん)→新座郡(にいくらぐん)の「志木郷」に由来する。

1874年、いわゆる明治の大合併のとき、引又宿(ひきまた)と舘本村(たて)が合併することになったが、新村名を経済力に秀でた引又とするか歴史ある舘とするかで大もめとなり、県に仲裁を仰ぐこととなった。県は『和名抄』にあった「新座郡志木郷」の名を取って志木とすることを提案し、志木宿 と名付けられた。その後、合併や分裂による町域の変更に伴い何度も町の名前が変わり、志紀町や足立町を名乗ったこともあったが、市制施行の際に志木市となった。

歴史

1351年観応2年)12月19日 - 宗岡の羽根倉橋周辺にて羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗彦四郎経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。背景は観応の擾乱を参照。

室町時代中期 - 山内上杉氏家臣の豪族大石顕重が居館として柏城(かしわのじょう)を築く。

1524年大永4年) - 大石信吉により柏城が改築され西の郭、大外堀が形成される。

1538年天文7年) - 北条氏綱国府台合戦で勝利したのを期に、大石定久は北条氏綱に降伏し、柏城が事実上後北条氏の持ち城となる。

1590年天正18年) - 小田原の役により、柏城が豊臣秀吉勢に攻められ落城する。

1596年 - 1614年慶長年間) - 徳川家康の家臣福山月斎が舘村の新しい地頭として柏城の本曲輪に居を構える。

江戸時代

1643年寛永20年) - 引又河岸が開設される。

1643年(寛永20年) - 三上又兵衛が引又初代名主となる。

1644年(寛永21年) - 三上廻漕問屋が開業。

1656年明暦2年) - 川越藩の命により井下田廻漕問屋が開業。

1662年寛文2年) - 旗本岡部忠直の家臣である白井武左衛門により、新河岸川いろは樋が架設される。

1784年天明4年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川武左衛門、伊兵衛(姓不詳)の四軒の廻漕問屋が活躍する。

1864年元治元年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川重五郎ら三軒の廻漕問屋が活躍する。

明治・大正時代

1869年明治2年) - 引又および舘は高崎藩宗岡前橋藩および品川県の管轄下に置かれる。

1871年明治4年) - 廃藩置県により引又・舘・宗岡ともに入間県の所属となる。

1872年明治5年)6月 - 高須庄吉が発起人となり、本町の敷島神社富士塚(田子山富士)が築造される。

1873年明治6年

熊谷県の所属となる。

引又郵便取扱所が開設される。


1874年明治7年)

7月 - 志木地区および宗岡地区に小学校が開校し、それぞれ志木小学校および宗岡小学校と称する。

9月 - 引又村および館村が合併し志木宿となる。


1875年(明治8年)1月1日 - 引又郵便局となる。同年、志木郵便局と改称する。

1876年(明治9年)

8月21日 - 志木・宗岡ともに埼玉県の所属となる。

12月19日 - 大和田警察署志木分署が開設される。


1876年(明治9年) - 上宗岡の浅間神社に富士塚が築造される。

1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、新座郡志木宿となる。

1880年(明治13年) - 三上屋が廃業。その数年後に高須廻漕店が開業する。

1884年(明治17年)4月1日 - 志木消防組が設置される。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、志木宿が改められ新座郡志木町となる。

1893年(明治26年)1月1日 - 宗岡尋常小学校と改称する。

1894年(明治27年) - 宗岡尋常小学校の校舎が新築される。

1896年(明治29年)

3月29日 - 新座郡北足立郡と合併し、志木町の所属が北足立郡となる。

7月9日 - 志木町郵便受取所(郵便局)が開設する。


1897年(明治30年)12月1日 - 第八十五国立銀行が志木町に支店を開設する。

1902年(明治35年)4月1日 - 志木尋常高等小学校と改称する。

1905年(明治38年)4月1日 - 宗岡尋常高等小学校と改称する。

1913年大正2年) - 宝幢寺の境内に浦和治安裁判所志木出張所(登記所)が置かれる。

1914年(大正3年)

5月1日 - 東上線池袋駅 - 田面沢駅間で開業し、志木町に志木駅が設置される。

志木に初めて電灯がつく。


1916年(大正5年)6月28日 - 浦和 - 志木間に乗合バスが開業する。

1921年(大正10年)2月 - 細田裁縫女学校(細田学園女子高等学校)が創設される。

1924年(大正13年)

5月15日 - 志木 - 所沢間に乗合バスが開業する。

志木町役場の庁舎が新築される。


昭和 - 令和秋ヶ瀬取水堰宗岡取水口

1929年昭和4年)10月31日 - 宗岡閘門及び洗堰ができる。

1930年(昭和5年)

いろは橋が架設される。

新河岸川改修工事の竣工式が挙行される。


1931年(昭和6年) - 県の通船停止令により、新河岸川の舟運が終了する。

1936年(昭和11年) - 埼玉第一飛行場(のち浦和飛行場)が着工。

1937年(昭和12年)10月 - 松永安左エ門によって、東邦電力の研究施設として町内に「東邦産業研究所」が設立される。

1939年(昭和14年)4月7日 - 町立志木商業学校が創立される。

1944年(昭和19年)2月11日 - 北足立郡志木町および内間木村入間郡宗岡村および水谷村が合併し、北足立郡志紀町が発足する。

1945年(昭和20年)4月3日 - 太平洋戦争下の空襲で、幸町一丁目に米軍B-29時限爆弾を8発投下。後に爆発して民家の母屋物置が吹き飛び、防空壕に避難していた5人が巻き込まれ死亡。 

1947年(昭和22年)4月1日 - 志紀町に志紀中学校が開設される。


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