忍者
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マシュー・ペリーの率いる黒船が浦賀沖に来航した際、藤堂藩の無足人沢村甚三郎が調査のために船上パーティーに日本側随員として参加し、パン、タバコ、蝋燭、便箋を持ち帰った[17]。これがいわゆる忍者の活動の最後だった。明治維新期になると甲賀古士らは一転して倒幕となり甲賀隊を結成して戊辰戦争に参加するも、忍術書に見られるような術は実戦に何の役にも立たなかった[18]
忍者イメージの創出

寛政期の甲賀古士らによる訴願により世間に広まった忍者像は、出版文化の高まりとともに独り歩きしてゆく。読本には忍者が好まれ「自来也説話」の自来也、『列戦功記』の飛加藤、『絵本太閤記』の石川五右衛門などが有名[19]
明治後から現在の忍者

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その後明治になり、江戸幕府から明治新政府へ政権が移ると、警察日本陸軍日本海軍が創設され、忍者もその役目を終えることになった。活躍できる場を失った彼らはその後、陸軍や警察関係(警察官)の職業など、技能を活かすために新たに創設された職に就いた者や、明治になって職業選択の自由が出来たことから全く違う職に就いた者など、生きた経緯は別れるようになり、それぞれの子孫が現在に至る。[独自研究?]

明治末期?大正年間には立川文庫の作家たちによって、猿飛佐助霧隠才蔵など忍者ものが創作され人気を博した。

また、映画の実用化により、特撮技術を用いた忍者ものが創作された。1921年公開の牧野省三監督の映画『豪傑児雷也』は、日本初の特撮映画と言われる。この映画では、現代に至るも創作作品で継承されている、煙とともに消える忍者が描写されるが、これは1902年に世界最初の劇映画として製作された『月世界旅行』の特撮技法をそのまま踏襲したものであり、もちろん史実ではない。

太平洋戦争後の1950年代後半より、小説や時代劇、劇画などに忍者が多く取り上げられるようになり、忍者は再び日本人の間で広く認知されるようになった。これらに描かれる忍者は主に使用する忍術の非現実性などから批判を受けることもあるが概ね好評と言え、平成期には『るろうに剣心』『NARUTO -ナルト-』などの漫画を原作としたアニメ作品が制作され、国内のみならず海外においても人気を集めている。
海外での受容

1918年の『Japan Magazine』に載った伊藤銀月による忍術の記事[1]が海外における忍者について最初の情報とされるが、1964年の『Newsweek』に、忍者の歴史や技の説明や日本での忍者ブームについて触れた記事が掲載され、これが欧米の忍者ブームの濫觴となった[20]。忍者が登場する最初の海外作品は1967年に映画化された『007は二度死ぬ』(小説は1964年)で、現代版忍者の海外での最初のイメージを作った[21]。これ以降、忍者は欧米の大衆文化において「売れるブランド」として小説・映画が多数作られ[20]、1970年には、欧文による最初のものと思われる英語の忍者解説書『見えない暗殺者』が出版された[21]。1970 - 1980年代には格闘技としての忍術も広まり[20]、忍者トレーニングなど、忍術の実践そのものへの熱意といった日本とは異なる現象もみられる[21]

1980年代には米国製ニンジャ映画の大ヒットでアメリカにニンジャブームが巻き起こり、一連の作品に主演したショー・コスギは日本人初の出演料100万ドルハリウッドスターとなった。ほかに、アメコミとして登場し後にアニメ化された『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』や、職業として忍者が登場するゲーム『ウィザードリィ』シリーズなど、様々なジャンルに作品が存在し、日本でも放映や発売されたりもしている。ただし「昼間から黒装束でビルの壁面にへばりつく」「武器としてヌンチャクサイトンファーなど忍者の使用していない武器を使用する」「一撃必殺の貴重な手段である手裏剣を大量に乱れ投げする」「火薬やポンプ等の原理なしに魔法のように火柱や水を手や足元から出し隠れる為ではなく攻撃手段として使う火遁や水遁の術」など間違った忍者像も広まっている。前者においてはハリウッドにおけるニンジャ映画のアドバイザーとして招かれた日本人が間違いを指摘したところ、「それじゃニンジャの姿が見えないじゃないか。君はニンジャというものが全く分かっていない」と真顔で言われたというエピソードも関係者の談話として伝わっている[要出典]。

ハリウッドが描く忍者は反社会的で残酷な殺し屋であり、映画の舞台は現代の欧米で主人公は白人であり、日本の忍者とは異なるものだった[20]。こうした忍者ブームは1987年で終わったが、この欧米産の忍者像が世界に広がり、香港映画、インド映画などでも忍者ブームが生み出された[20][21]。これにより忍者の認知度は上がったが日本との繋がりは薄れた[20]。1990年代以降もハリウッドでは『ブレイド』(1998年)、『Ninja』(2009年)、『ニンジャ・アサシン』(2009年)といった忍者映画が作られているが、それ以前のハリウッド忍者映画の特徴であった白人男性のみをヒーローとしたアクション映画と異なり、黒人や東洋人をもヒーローとして映画に登場させるなどの変化がみられた[22]。しかし、描かれる忍者像はあくまで日本のそれとは異なる空想上のものであり、「忍者ほど世界史においてよく知られ、にもかかわらずひどく誤解されているものはない」ものとなった。2000年代には海外産の忍者映画を観て育った世代によりアフリカでも忍者映画が作られるようになった[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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