忍城
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1823年文政6年)に阿部氏白河に移り、桑名から松平忠堯(奥平松平氏)が入った[9]

忍城の城下町は、中山道の裏街道宿場町としての機能や、付近を流れる利根川の水運を利用した物流路としての機能を兼ね備えて繁栄する。また江戸時代後期からは、足袋の産地として名をはせるようになる。
明治時代から昭和10年代行田市郷土博物館の鐘楼

廃藩置県に伴い「忍県」の県庁が二の丸に置かれたが、その後廃城となって城内の構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園(成田公園、後に忍公園)として整備された。
戦後

忍公園が拡張され、1949年昭和24年)10月には本丸跡に行田市本丸球場が造られた[10][11]が後に移転し、1988年昭和63年)2月17日にはその跡に行田市郷土博物館が開館、御三階櫓は博物館の一部として「忍城鳥瞰図」や文献などを元に、鉄筋コンクリート構造によって外観復興されている[9]。ただし位置や規模は史実とは異なり、内部は展望室や行田の歴史を写真や資料で紹介する展示室として利用されている。また、周囲には土塁の一部が残存している。

2017年(平成29年)、続日本100名城(118番)に選定された[12]
構造水城公園

湿地帯を利用した平城であった。元々沼地だったところにが点在する地形だったが、沼を埋め立てず、独立した曲輪として、を渡す形で城を築いた。当初はを立てずに本丸は空き地とし、二の丸屋敷を作ってそこを住まいとしていた。そのため、攻めにくく守りやすい城であったとされる。

当時の沼の名残は、水城公園に見て取れる。
考古資料
遺構

現存する建造物としては、北谷門が加須市總願寺に、どこの門か定かではないが高麗門形式の城門が郷土博物館の駐車場脇に、それぞれ移築され現存している[11]。また、藩校進修館の門が郷土博物館の南側に移築現存する。なお、往時の城を伝えるものとして本丸土塁が残っている。

本丸土塁跡

總願寺に移築された北谷門

高麗門形式の城門

藩校進修館の門

忍城時代祭り

毎年11月の第二日曜日に、「行田商工祭・忍城時代祭り」が行われる。主会場は、行田市役所と行田市産業文化会館である。市役所前の通りから忍城にかけて武者行列(午前に1回)、忍城の堀にて火縄銃演武(午前と午後に1回ずつ)などが行われる。

また2008年(平成20年)からは、近年のB級グルメの発展によりB級グルメ大会が行われるようになった。行田のフライゼリーフライのほかに、全国各地のご当地グルメが出店する。
現地情報
所在地

埼玉県行田市本丸17-23

交通アクセス

公共交通:各地より路線バス「忍城」停留所(
朝日バス )または「忍城址・郷土博物館前」停留所(行田市内循環バス)。なお、この2停留所は同一箇所にある。

秩父鉄道秩父本線行田市駅下車、朝日バス吹上駅行き。または徒歩15分。

JR東日本高崎線吹上駅下車、2番のりば朝日バス前谷経由行田市各方面行き(1番のりば佐間経由の場合、新町1丁目停留所下車徒歩10分)。

JR東日本高崎線行田駅または秩父鉄道秩父鉄道秩父本線ソシオ流通センター駅下車、行田市内循環バス 西循環コース右回り。

その他 行田市内循環バス 上記以外各コース(西循環右回り含む)で終点忍城バスターミナルより徒歩5分。また、北西循環コースも「忍城址・郷土博物館前」バス停を経由しており、行田市バスターミナルにて西循環の左回りまたは北西循環の右回りに乗車しての利用も可能。


自家用車:埼玉県道128号熊谷羽生線沿い。

忍城が舞台となった作品
小説

『笄堀』(
山本周五郎

『水の城 いまだ落城せず』(風野真知雄

『風来忍法帖』(山田風太郎

のぼうの城』(和田竜

『紅蓮の狼』(宮本昌孝

脚注[脚注の使い方]

注釈^ 従来は成田親泰の築城とされてきたが、近年の研究で成田氏系譜の誤りが判明し、親泰の祖父とされる正等の築城と考えられるようになった。[要出典]
^ ただし、当時の書状の中で三成は忍城水攻めを批判しており、またこの時点では一介の奉行でしかなかった三成の身分からしても、独断でこれだけの規模の水攻めを行えたかは疑問である。また、包囲に加わった浅野長政にも秀吉から水攻めを続行するようにとの命令が届き、士気が下がる事この上なかった、と浅野家文書に記されている。

出典^ a b c d e “忍城址”. 行田市教育委員会 (2015年11月2日). 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月17日閲覧。
^ a b c d “忍城に関する歴史”. 行田市 (2014年5月26日). 2016年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月17日閲覧。
^ 埼玉県 編『新編埼玉県史 通史編 2 中世』埼玉県、1988年、943頁。 
^ 戦国合戦史研究会編『戦国合戦大事典第2巻 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県 山梨県』新人物往来社、1989年、142頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-404-01642-5。 
^ 平井聖日本城郭大系 5 埼玉・東京』新人物往来社、1979年、174頁。ISBN 4-404-00976-3。 
^ 日本遺産ポータルサイト(文化庁)
^ 埼玉県 編『新編埼玉県史 通史編 2 中世』埼玉県、1988年、716頁。 
^ “ ⇒石田堤”. 行田市教育委員会 (2011年10月31日). 2012年4月20日閲覧。
^ a b c d “ ⇒忍城に関する歴史”. 行田市 (2011年5月11日). 2012年4月20日閲覧。


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