徳川秀忠
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小倉藩主細川忠興は父・幽斎譲りの脇差「大三原」(『享保名物帳』の同名の刀とは別物)を愛刀としていたが、嫡子忠利が所望しても頑として与えなかった[30]。どういうわけか、この事情は秀忠の耳にも及んでいた[30]。そこで、ある年、細川父子を伴として浅草川に水浴に出かけ、忠興にも一緒に川で水を浴びるように誘った[30]。忠興も、水浴びとなれば、大三原を腰から外さざるを得ない[30]。秀忠は、忠興より先に水浴びを済ませ、川辺に置かれていた大三原を奪い取ると忠利に「余がこれを拝借し、取り次いで、そなたに下賜してやろう。越中(忠興)のやつもまさか異議は申すまい」と大三原を忠利に与えてしまった[30](『細川忠興公年譜』[31])。このときのやりとりは実は忠興にも聞こえてはいたのだが、将軍の声には逆らえず、しぶしぶ従ったという[30]。ただし忠利はこのような由来がありながら後に大三原を弟の立孝に譲っている[30]。
丹羽長重や小山長門守吉久とは、衆道の関係であったという[32]。
茶の湯を古田織部に学んで特に愛好した茶人でもあり、織部が切腹となった後も織部遺愛の道具を用いて茶会、あるいは数寄屋御成を度々行った。
2012年、徳川記念財団所蔵が所蔵している歴代将軍の肖像画の紙形(下絵)が公開された[33][34]。秀忠像は白描淡彩本。
系譜
正室:小姫 - 豊臣秀吉養女、織田信雄長女
御台所(継室):浅井江(崇源院) - 豊臣秀吉養女、浅井長政三女
長女:千姫(天樹院) - 豊臣秀頼室のち本多忠刻室
次女:珠姫(天徳院) - 前田利常室
三女:勝姫(天崇院) - 松平忠直室
四女:初姫(興安院) - 京極忠高室
次男:家光
三男:忠長 - 駿河徳川家祖
五女:東福門院 - 後水尾天皇中宮
家女
長男:長丸(慶長6年(1601年)2月[35]または12月3日[36] - 慶長7年(1602年)7月[37]または9月25日[36]、もしくは慶長6年(1601年)9月[38])
侍女:静[注釈 7]
四男:保科正之 - 会津松平家祖
秀忠の養子
喜佐姫(龍昌院) - 結城秀康次女、毛利秀就室
千代姫(保寿院) - 小笠原秀政娘(祖父は兄の松平信康)、細川忠利室
ビン姫(雲松院) - 奥平家昌娘(祖母は姉亀姫)堀尾忠晴室
茶々姫(のち千に改名、寿光院) - 池田輝政娘(母は姉督姫)、京極高広室[注釈 8]
振姫(孝勝院) - 池田輝政娘(母は姉督姫)、伊達忠宗室[39][注釈 9]
亀姫(宝珠院) - 松平忠直娘(母は三女勝姫)、高松宮好仁親王室
勝姫(円盛院) - 本多忠刻娘(母は長女千姫)、池田光政室
鍋姫(法雲院) - 伊達忠宗娘(母は養女振姫(孝勝院))、立花忠茂室
鶴姫(福正院) - 榊原康政娘、池田利隆室
久姫(梅渓院) - 松平忠良娘(父は秀忠の従兄弟)、黒田忠之室
崇法院 - 蒲生秀行娘(母は妹振姫)、加藤忠広室
完子 - 豊臣秀勝娘(母は御台所豊臣達子)、九条幸家室
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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