徳川慶喜_(NHK大河ドラマ)
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本作放送以前の1995年12月17日放送の特別番組「さればでござる・全て見せます大河ドラマ」で、「徳川慶喜の生涯をドラマ化して欲しい」という視聴者の要望が伝えられていた。

また、大河ドラマの総集編は放送年の年末に放送されるのが恒例だったが、この作品に限っては翌年・1999年3月に放送された[4]。再放送は2010年11月から2011年2月にかけてCS時代劇専門チャンネルで行われたのが初めて。また、ソフト化は長らく実現していなかったが、2014年秋に完全版のDVDが発売された。なお、総集編はNHKアーカイブスで、本編はNHKオンデマンドの配信で視聴が可能となっている。

題字は主演の本木雅弘が書いたものもあるが、実際の放送では隷書体の題字を使用した。本木による題字は番組のガイドブックなどで見ることができる。手製の題字が使用されないのは極めて異例である。他には『山河燃ゆ』『北条時宗』の事例がある。

また、オープニングでは幕閣などの役名は全て「井伊掃部頭直弼」など、官名を入れて表示している。

平均視聴率は21.1%、最高視聴率は29.7%[5]
テーマ音楽、タイトル映像

音楽に合わせ、農村地帯や下町の情景、庶民の暮らしぶりなどが当時そのままの姿で再現され、写真撮影されて収まるという映像。

一方で、ドラマの最後は、主人公・慶喜が家族と写真撮影をしたあと、その後に起こった出来事が明治維新の諸制度改革や西南戦争から平成大不況に至るまで、テーマ音楽に沿って資料写真や映像でフラッシュされるラストとなっている。ただし、この場面はNHKオンデマンドでは収録されていない。
あらすじ

水戸藩主・徳川斉昭の七男として産まれた七郎麿(後の慶喜)は斉昭による徹底した英才教育を受けたくましく育ち、第12代将軍・家慶の要望を受け、11歳の時、御三卿一橋家を相続する。

黒船1853年に浦賀に来て日本中が騒然とする中、慶喜は幕閣の期待を一心に集め、第13代将軍・家定の後継として候補に上がる。しかしある一人の男の出現により、慶喜の人生は激変した。大老・井伊直弼である。井伊による安政の大獄において、慶喜は蟄居謹慎に処せられ、将軍後継者は徳川家茂に決定する。

しかし桜田門外の変において井伊が暗殺されると (島津久光の建策を考慮した)勅命を受け慶喜は家茂の後見職に就任。上洛後は宮廷工作に力を発揮し、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる混沌とした時代をその英知によって切り抜けていく。

そんな中、家茂が死去し、秘密裏に結ばれた薩長同盟を中核とする倒幕派が幕府を追い詰める中、慶喜は幕閣からの度重なる将軍就任要請と(孝明天皇から)将軍宣下を受け、遂に第15代将軍に就任。しかし、将軍就任直後に天皇が崩御。幕府そして日本の命運は慶喜の双肩にかかることになっていく。
登場人物
徳川将軍家・水戸徳川家

七郎麿→
徳川慶喜若葉竜也崎本大海本木雅弘主人公。

美賀石田ひかり慶喜の正室。清華家の分家出身。おっとりとした性格で、不安になると気絶してしまうほど気が弱い。

徳川斉昭菅原文太慶喜の父。慶喜を厳しくも温かく見守る。井伊直弼と対立し、隠居謹慎を命じられる。

吉子→貞芳院若尾文子の名門宮家有栖川宮家出身。斉昭の正室。慶喜の生母。幼称は登美宮。

徳川慶篤:笹川謙→内野聖陽斉昭の長男。慶喜の同母の長兄。

徳川昭武中村橋之助1980年大河ドラマ獅子の時代』の映像流用)慶喜の年が離れた異母弟。万国博覧会に参加する。演者である中村橋之助は、前年の大河ドラマ『毛利元就』の主演俳優であるため、1970年代以降の作品では初めて、前年の大河主演俳優が出演する形となった。ただし、上記の通り過去の作品の流用であり、公式には橋之助は出演者としてカウントされていない。

徳信院直子鶴田真由一橋徳川家第7代当主 一橋慶寿の未亡人で、慶喜の6歳上の養祖母。の名門宮家伏見宮家出身。幼称は東明宮。慶喜を弟のように可愛がる。

徳川家慶鈴木瑞穂第12代征夷大将軍。

徳川家定大出真也第13代征夷大将軍。

篤子[6]天璋院深津絵里家定の継室。薩摩藩島津家の分家出身。高慢な性格で、慶喜と対立する。

徳川家茂木田健太水橋研二進藤健太郎第14代征夷大将軍。

和宮→静寛院宮:小橋めぐみ孝明天皇の異母妹。公武合体の証として家茂の正室となる。

観行院山本陽子和宮の生母。和宮とともに京都から江戸に移る。


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