徳川将軍家御台所
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^ 顕著な例は6代将軍正室・天英院と、13代将軍正室・天璋院である。天英院は、6代将軍家宣の遺言として8代将軍に紀州吉宗を指名した。天璋院は、将軍不在時に老中たちに登城を命じたり、無血開城直前には和宮と共に大奥発の最初で最後の「御触れ」を出した。
^ 14代将軍・家茂の正室である和宮は内親王であるため「御台様」の呼称が「和宮様」に改められた。また、15代将軍・慶喜正室である一条省子は、慶喜が大坂で将軍宣下を受けていたことや当時の状況を慮って江戸城に移らなかった。
^ 「徳川慶喜大将軍ヲ罷ムルヲ以テ令シテ其称呼ヲ改ム」 アジア歴史資料センター Ref.A15071464700
^ あるいは「御守殿」と表記されている場合もある。参照:「弘化期以降の記述史料からみた江戸城本丸御殿大奥御殿向における女中の役務空間」
関連項目
大奥
徳川将軍家
御簾中 - 御三家および御三卿の正室に用いられた敬称。
表
話
編
歴
徳川将軍家御台所
家康:築山御前 → 朝日姫
秀忠:小姫 → 豊臣達子
家光:鷹司孝子
家綱:浅宮
綱吉:鷹司信子
家宣:近衛熙子
家継:八十宮
吉宗:真宮
家重:比宮
家治:五十宮
家斉:近衛寔子
家慶:楽宮
家定:鷹司任子 → 一条秀子 → 近衛敬子
家茂:和宮
慶喜:一条美賀子
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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