妻は薩摩藩主島津忠義の十女・正子(なおこ)で、その結婚は2人が誕生する前に、13代将軍徳川家定の正室であった天璋院の遺言によって既に決められていた[25]。また、忠義の五女・知子と再婚した叔父の徳川達孝とは義兄弟の間柄でもある。
家督については、長男の家英(いえひで)が先立って死去したため、家正は徳川宗家の断絶を恐れて長女の豊子と会津松平家の松平一郎との間に生まれた次男の恒孝を養子とし、家正死後に恒孝が徳川宗家第18代当主となった。なお、恒孝の父方の祖父である松平恆雄は第1回参議院議員通常選挙に当選し、第1回国会の議長選挙で初代参議院議長に選出されている。
父:徳川家達
母:徳川泰子
妻:徳川正子(島津忠義十女)
長男:家英(1912年(明治45年)1月11日 - 1936年(昭和11年)9月28日)[注釈 1]
長女:豊子(松平一郎夫人)
次女:敏子(上杉隆憲夫人)
三女:順子(保科光正夫人)[27]
養子:徳川忠永(松平慶民の次男、後に縁組解消)
養子:徳川恒孝(長女・豊子と松平一郎の次男)
著書
『結婚礼法と仲人の心得』有紀書房 1968
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 東北帝国大学法文学部在学中の1936年(昭和11年)9月28日午前4時半、敗血症のため東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)の日本赤十字社病院で死去[26]。24歳没。未婚であった。
出典^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』10頁。
^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
^ 『朝日新聞』1963年2月19日付、4版、7面
^ 昭和38年第43回参議院会本会議議録第10号1頁