※日付=旧暦
正徳5年12月27日(1716年1月21日)、 徳川吉宗の三男として生まれる。幼名・小次郎。母は、お古牟の方(本徳院)。
享保14年(1729年)9月27日、元服。宗武と名乗り、従三位左近衛権中将兼右衛門督に叙任。徳川の苗字を称する。
享保16年(1731年)1月27日、江戸城田安門内に屋敷および賄料3万俵を賜り、田安徳川家を創設する。これが、後の御三卿の始めである。
延享2年(1745年)11月2日、参議に補任。
延享3年(1746年)9月15日、賄料10万石を与えられる。
明和5年(1768年)5月15日、権中納言に転任。
明和8年(1771年)5月27日、出家。 6月4日、死去。享年57。法名:悠然院殿寛山圓休大居士。
(年月日不詳)、贈権大納言
家系三女:淑姫(円諦院)高伝寺所蔵
宗武は15人の子女に恵まれたが、長男から四男までの男子は全て夭折したため、五男の徳川治察が嫡男となる[2]。
正室:近衛通子(宝蓮院殿) - 近衛家久娘
長女:誠姫