徳川吉宗
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しかし米価の下落から困窮していた武士や農民の救済のため金銀の品位を下げ流通量を増やすべきとする大岡忠相の強い進言に折れ政策を転換した[16][17]元文元年(1736年)に行われた元文の改鋳は、日本経済に好影響をもたらした数少ない貨幣改鋳であるとして、積極的に評価されている[18]。吉宗は以前の改鋳が庶民を苦しめたこともあり、この改鋳に当初は否定的であったが、貨幣の材質を落とすことで製造上の差益を得る目的であった過去の改鋳と違い、元文の改鋳は純粋に通貨供給量を増やすものであった。元文の通貨は以後80年間安定を続けた。

吉宗の行なった享保の改革は一応成功し、幕府財政もある程度は再建された。そのため、この改革はのちの寛政の改革天保の改革などの基本となった。ただし、財政再建の一番の要因は上米令と増税によるものであったが、上米令は将軍権威の失墜を招きかねないため一時的なものにならざるを得ず、増税は百姓一揆の頻発を招いた。そのため、寛政・天保の両改革ではこれらの政策を継承できず、結局失敗に終わった。

保安

紀州藩の基幹産業の一つである
捕鯨との関わりも深く、熊野の鯨組に軍事訓練を兼ねた大規模捕鯨を1702年(元禄15年)と1710年(宝永7年)に紀伊熊野の瀬戸と湯崎(和歌山県白浜町)の2度実施させており、その際は自ら観覧している。また、熊野灘の鯨山見(高台にある鯨の探索や捕鯨の司令塔)から和歌山城まで狼煙を使った海上保安の連絡網を設けていた。

将軍就任後、河川氾濫による被災者の救出や、江戸湾へ流出した河川荷役、塵芥の回収に、鯨舟(古式捕鯨の和船)を使い、「鯨船鞘廻御用」という役職を設けて海上保安に努めた。

海防政策としては大船建造の禁を踏襲しつつも下田より浦賀を重視し、奉行所の移転や船改めを行い警戒に当たった。

将軍として初めて「御庭番」を創設し、諸藩や反逆者を取り締まらせた[注釈 13]

年表享保の改革に関する年表は享保の改革を参照

年月日(月日は旧暦)事柄出典
貞享元年(1684年)10月21日和歌山藩主徳川光貞の四男として生まれる。
元禄9年(1697年)12月11日従四位下に叙し、右近衛権少将兼主税頭に任ず。松平頼久と名乗る。続いて、頼方と改める。
元禄10年(1697年)4月11日五代将軍綱吉が和歌山藩邸を訪れ、その際に越前葛野藩3万石藩主となる(後に1万石加増)。
宝永2年(1705年)10月6日紀伊徳川家5代藩主就任
同年12月1日従三位左近衛権中将に昇進。将軍綱吉の偏諱を賜り「吉宗」と改名。
宝永3年(1706年)11月26日参議に任ず。左近衛権中将元の如し。
宝永4年(1708年)12月18日権中納言に昇進。
正徳6年(1716年)4月30日将軍後見役就任
享保元年(1716年)7月13日正二位権大納言に昇進。
享保元年(1716年)7月18日征夷大将軍源氏長者宣下。内大臣・右近衛大将に昇進。
寛保元年(1742年)8月7日右大臣に昇進。右近衛大将元の如し。
延享2年(1745年)9月25日征夷大将軍辞職
寛延4年(1751年)6月20日死去
同年閏6月10日贈正一位太政大臣

系譜

御簾中:
真宮 - 貞致親王王女

側室:大久保須磨子(深徳院) - 大久保忠直

長男:家重


側室:古牟(本徳院) - 竹本正長娘

三男:宗武 - 田安家


側室:梅(深心院) - 谷口正次娘

四男:源三

五男:宗尹 - 一橋家


側室:久免(覚樹院) - 稲葉定清娘

長女:芳姫(正雲院)


側室:おさめ

側室:お咲

生母不明の子女

次男


養子

徳川宗直 - 西条松平家で、吉宗の再従兄弟。伊予西条藩第2代藩主→紀伊和歌山藩第6代藩主

竹姫(浄岸院) - 清閑寺熈定[19]娘。元徳川綱吉養女。会津藩嗣子松平正邦婚約者、のち有栖川宮正仁親王婚約者、のち島津継豊

利根姫(雲松院) - 伊達宗村室(徳川宗直娘)


猶子

尊胤入道親王 - 霊元天皇第18皇子


徳川吉宗の系譜

                 

 16. 松平広忠
 
     

 8. 徳川家康 
 
        

 17. 水野大子
 
     

 4. 徳川頼宣 
 
           





 9. 於万 
 
        





 2. 徳川光貞 
 
              





 10. 中川重高 
 
        





 5. 理真院 
 
           













 1. 江戸幕府8代将軍
徳川吉宗 
 
                 

 24. 中井利次
 
     

 12. 中井利盛 
 
        





 6. 巨勢利清 
 
           













 3. 巨勢紋子 
 
              





 14. 壺井義高 
 
        





 7. 冷香院 
 
           















偏諱を受けた人物

吉宗時代(将軍在職時/「宗」の字)

二条宗熙

二条宗基

徳川宗武(次男、田安家祖)

徳川宗尹(四男、一橋家祖)

徳川宗春

徳川宗勝

徳川宗睦

徳川宗直(養子、和歌山藩継嗣)

徳川宗将

徳川宗堯

徳川宗翰

松平宗昌

松平宗矩

松平宗衍

上杉宗憲

上杉宗房


伊達宗村

前田宗辰

池田宗政

池田宗泰

浅野宗恒


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