徳島県
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約2万年前の遺物と推定できる国府型ナイフ形石器[注釈 8] が、徳島県域でも49遺跡から見つかっている。戦国時代には、三好郡を拠点にしていた三好氏が、東四国から山城国までの八国を支配した。豊臣秀吉四国平定により、阿波国は蜂須賀氏が封ぜられ、その統治は明治維新まで続いた。
「徳島県」と「名東県」

元々、徳島市名東郡に属する都市だったので、廃藩置県の第一次府県統合(明治4年(1871年))当時の徳島県は、名東県という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧淡路国淡路島)も範囲とされた。さらに、1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入した。

しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県され、明治3年(1870年)の庚午事変(稲田騒動)で敵対した淡路国が1876年(明治9年)8月21日に兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された[8]

この後の1880年(明治13年)3月2日に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の徳島県が発足した。

なお、宮武外骨の説では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、徳島藩の首府であった徳島市の所在する名東郡から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは定かではない。
近・現代

明治2年
6月17日1869年7月25日) - 版籍奉還により全国に府藩県三治体制が実施される。初代知事に蜂須賀茂韶[9]

明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、徳島県(旧徳島藩阿波国淡路国)が設置された。全国は3府302県となる。

明治4年11月15日(1871年12月26日) - 徳島県を名東県(みょうどうけん)に改名。徳島城下(今の徳島市)が名東郡に属していたことが名称の由来。全国的にいわゆる第一次府県統合(明治4年10月28日(1871年12月10日) - 明治4年11月22日(1872年1月2日))実施により全国は3府72県となった。

1873年(明治6年)2月20日 - 香川県(旧讃岐国)が名東県に編入された。

1875年(明治8年)9月5日 - 香川県が名東県から分離独立し、名東県の範囲は再び旧阿波国と旧淡路国となった。

1876年(明治9年)8月21日 - 全国的に県の大規模な削減が実施(いわゆる第2次府県統合)され、名東県は分割されて廃止された。淡路島は兵庫県に編入され、旧阿波国は高知県に編入された。全国で38府県まで削減された。

1880年(明治13年)3月2日 - 旧阿波国が高知県から分離独立し、現在の徳島県となった。

1887年(明治20年)10月28日 - 日本赤十字社徳島県委員部(現・徳島県支部)が創設される。四国では1番目。

1888年(明治21年) - この年までに富山県福井県奈良県鳥取県、徳島県、香川県(1888年12月3日に愛媛県から分離独立。全国最後の設置)、佐賀県、宮崎県の8つの県が復活。

1889年(明治22年)4月1日 - 市制(同日実施されたのは全国で31市(特別市制施行の京都市大阪市・赤間関市(現・下関市)を含む))・町村制を実施。徳島市は同年10月1日市制施行(四国で同年4月1日施行は高知市のみ(全国1番)で、徳島市は四国では高知市に次いで2番目(全国36番目)、松山市は同年12月15日(全国39番目)、高松市は翌年1890年(明治23年)2月15日実施(全国40番目)。

1890年(明治23年)5月17日 - 府県制郡制の施行を経て3府43県に統合。現在の都道府県の原型になる。

1899年(明治32年)7月12日 - 吉野川が増水して各地で堤防が決壊。一条町では小学校や多数の人家が流失。死傷者197人、浸水家屋多数、田畑の収穫皆無[10]

1928年昭和3年)12月18日 - 徳島市下助任町(現・吉野本町)と応神村(現・応神町古川)を結ぶ国道11号(現・徳島県道39号徳島鳴門線(旧国道11号))の吉野川橋が開通した[11]

1934年(昭和9年)9月21日 - 未明に室戸台風が通過して暴風雨。死者・行方不明者32人以上。家屋全壊852棟、半壊882棟、小・中学校の校舎倒壊16など強風による被害も相次いだ。また、発動機船、帆船、漁船などの流失・沈没2000隻以上、撫養地方の塩田全滅など地域経済に大きな打撃を与える被害が出た[12]

1945年(昭和20年)1月29日 - 貞光町(現・つるぎ町貞光)の真光寺に疎開していた大阪市立南恩加島小学校児童が火災の犠牲になった[13]

戦後

1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦。徳島城鷲の門戦災にて焼失。

1946年(昭和21年)12月21日 - 昭和南海地震が発生、県南を中心に津波被害が出る。202人が犠牲になる(不明者も含む)。

1947年(昭和22年)3月15日 - 鳴南市が発足。同年5月15日鳴門市に改称する。

1949年(昭和24年)5月31日 - 国立徳島大学が設置される。

1951年(昭和26年)6月1日 - 小松島市が発足する。

1952年(昭和27年)7月1日 - 四国放送がラジオ放送を開始。

1953年(昭和28年)11月 - 徳島公園内に県立図書館が完成。

1957年(昭和32年)11月 - 那賀川上流に長安口ダムが完成。

1958年(昭和33年)1月 - 小松島から和歌山に向っていた南海丸が沼島沖で遭難、乗客・乗員全員が犠牲になる。

1958年(昭和33年)5月1日 - 阿南市が発足する。

1959年(昭和34年)4月 - 四国放送がテレビ放送を開始。

1960年(昭和35年)5月 - チリ地震で県南に津波被害。

1961年(昭和36年)4月 - 四国女子短期大学が開校する(後の四国大学短期大学部)。

1961年(昭和36年)4月 - 徳島女子短期大学が開校する(後の徳島文理大学短期大学部)。

1961年(昭和36年)7月30日 - 小鳴門海峡小鳴門橋(こなるとばし)が開通。

1963年(昭和38年)4月 - 徳島市文化センターが開館。

1963年(昭和38年)4月1日 - 国立阿南工業高等専門学校が開校する。

1963年(昭和38年)7月 - 新徳島火力発電所が完成する(現在の阿南発電所)。

1964年(昭和39年)4月5日 - 徳島県立海南高等学校第36回選抜高等学校野球大会で初優勝。


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