目に見えない微生物が存在する可能性は、紀元前6世紀のインドのジャイナ教の経典(英語版)など、古くから信じられてきた。微生物の科学的研究は、1670年代のアントニ・ファン・レーウェンフックによる顕微鏡での観察から始まった。1850年代に、ルイ・パスツールは、微生物が食品を腐敗(英語版)させることを発見し、自然発生説を否定した。1880年代に、ロベルト・コッホは、微生物が結核、コレラ、ジフテリア、炭疽症のような病気の原因であることを発見した。
古代の先駆者紀元前6世紀に、マハーヴィーラは、微小生物の存在を予言した。アントニ・ファン・レーウェンフックは、初めて顕微鏡で微生物を研究した科学者である。ラザロ・スパランツァーニは、煮汁を沸騰させると腐敗しなくなることを示した。
微細な生物が存在する可能性は、17世紀に発見されるまで何世紀にもわたって議論されてきた。紀元前6世紀に、現在のインドのジャイナ教徒は、ニゴダ(英語版)と呼ばれる小さな生物の存在を予言していた[8]。このニゴダは群れをなして生まれ、植物、動物そして人間の体などあらゆる場所に生息し、ほんの一瞬しか生きられないと言われていた[9]。ジャイナ教の第24代伝道者マハーヴィーラによると、人間は食べ、呼吸し、座り、動くとき、これらのニゴダを大規模に破壊するという[8]。現代のジャイナ教徒の多くは、マハーヴィーラの教えは現代科学が発見した微生物の存在を予見したものだと主張している[10]。
まだ見ぬ生物によって病気が蔓延する可能性を示唆した最も古い考え方は、紀元前1世紀に古代ローマの学者マルクス・テレンティウス・ウァッロが著した『農業論(On Agriculture)』であり、彼は、目に見えない生物を微小動物(英語版)(animalcules)と呼び、沼地の近くに農場を置くことを戒めた[11]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}… そして、目には見えないが、空気中に浮遊し、口や鼻から体内に侵入して重篤な病気を引き起こす、ある種の微細な生物が繁殖しているからである。[11]
アヴィセンナは『医学典範(The Canon of Medicine)』(1020年)の中で、結核やその他の病気が伝染する可能性を示唆した[12][13]。
近世「顕微鏡による細菌の発見」も参照
アクシャムサディン(英語版)(トルコの科学者)は、アントニ・ファン・レーウェンフックが実験によって発見する2世紀ほど前に、著書『Maddat ul-Hayat(生命の素材)』の中で微生物について言及している。人間に病気が一つずつ現れるという考え方は間違っている。病気は人から人へ感染することで広がる。この感染は、目に見えないほど小さいが生きている種子を介して起こる。[14][15]
1546年、ジローラモ・フラカストロは、流行性疾患(伝染病)は、直接あるいは間接的な接触によって、あるいは接触がなくても長距離にわたって感染を媒介する、伝染性の種子のような存在によって引き起こされると提唱した[16]。
アントニ・ファン・レーウェンフックは微生物学の父の一人とされている。彼は1673年に、自ら設計した簡単な単眼顕微鏡を使用して微生物を発見し、科学的な実験を行った最初の人物である[17][18][19][20]。レーウェンフックと同時代のロバート・フックも、また、カビの子実体(しじつたい)という形で微生物の生命を顕微鏡観察(英語版)した。彼は、1665年に出版した著書『顕微鏡図譜(Micrographia)』で、自身の研究を図面化し、細胞(cell)という言葉を作り出した[21]。
19世紀ルイ・パスツールは、スパランツァーニの発見が、粒子を通さないフィルターを通した空気でも成立することを示した。
ルイ・パスツール(1822-1895)は、粒子が増殖培地まで通過するのを防ぐフィルター付きの容器と、フィルターがない代わりに塵粒子が沈降して細菌と接触しないように湾曲した管を通して空気を入れた容器で、煮沸した煮汁を空気にさらす実験を行った。パスツールは、事前に煮汁を煮沸することで、実験開始時に煮汁内に微生物が生存していないようにした。パスツールの実験では、煮汁の中では何も増殖しなかった。すなわち、このような煮汁の中で増殖する生物は、煮汁の中で自然発生したものではなく、塵粒子に付着した胞子として外部から来たことを意味する。こうして、パスツールは自然発生説に反論し、病気の病原体説を支持した[22]。ロベルト・コッホは微生物が病気を引き起こすことを示した。
1876年、ロベルト・コッホ(1843-1910)は、微生物が病気を引き起こす可能性があることを立証した。彼は、炭疽症に感染した牛の血液には常に大量の炭疽菌(Bacillus anthracis)が存在することを発見した。コッホは、感染した動物から少量の血液を採取し、それを健康な動物に注射することで、ある動物から別の動物に炭疽菌を感染させ、その結果、健康な動物が発病することを発見した。彼はまた、栄養煮汁の中で細菌を増殖させ、それを健康な動物に注射して発病させることも発見した。これらの実験に基づき、彼は微生物と病気の因果関係を立証するための指針を作り上げた。現在これは、コッホの原則として知られている[23]。この原則はすべての場合に適用できるわけではないが、科学的思想の発展において歴史的に重要であり、今日でも使用されている[24]。
ミドリムシのように、植物のように光合成をするが、動物のように運動するため、動物にも植物にも当てはまらない微生物の発見は、1860年代に第3の生物界の命名につながった。1860年、ジョン・ホッグはこれを原生生物(Protoctista、プロトクティスタ)と呼び、1866年、エルンスト・ヘッケルがこれを原生生物界(Protista、プロティスタ)と命名した[25][26][27]。
パスツールやコッホの研究は、医学に直接関連する微生物にのみ焦点を当てたため、微生物の世界の真の多様性を正確に反映していなかった。微生物学の真の広がりが明らかになったのは、19世紀後半、マルティヌス・ベイエリンクやセルゲイ・ヴィノグラドスキーの研究以降のことである[28]。ベイエリンクは、微生物学に、ウイルスの発見と、集積培養技術の開発という2つの大きな貢献をした[29]。タバコモザイクウイルスに関する彼の研究は、ウイルス学の基本原理を確立した。しかし、微生物学に最も直接的な影響を与えたのは、彼が開発した濃縮培養法であり、生理学的に大きく異なる幅広い微生物の培養を可能にするものであった。