エイレナイオスやテルトゥリアヌスは「パスハ」を、ギリシャ語の動詞「苦しむ」(ギリシア語: π?σχω[注釈 4])に関連付け、イエス・キリストの受難と結びつけて解釈したが、この誤りは彼らがヘブライ語を知らなかったため生じた。アウグスティヌスはその語源説明の誤りを正した[17]。 復活祭を表す英語「イースター (Easter)」およびドイツ語「オスターン (Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ (Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト (Eostremonat)」に由来しているともいわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスがこれに言及し、ゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している[17]。ただしこの説も確実ではない[4]。 復活祭(復活大祭、復活日)は教会暦において、移動祭日と呼ばれ[20](移動祝祭日[21]もしくは移動祝日[22]とも)、最も重要な祭り(祝日)と位置づけられるとともに[1][2][3][4][5][6]、復活祭によって教会暦における他の移動祭日(移動祝祭日、移動祝日)が決められる。 正教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会においては、復活祭(復活大祭、復活日)の前にイエスの荒野での試みや十字架の受難を記念する「40日間」が設けられている。ラテン語で Quadragesima、英語では古ドイツ語の「断食」を語源とする Lent と標記されるが、日本語においては四旬節(カトリック、ルーテル他)、大斎節(たいさいせつ、日本聖公会)、大斎(おおものいみ、正教会)のように呼び名が異なる。また、開始日や数え方も教派ごとに違いがある。 カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などの西方教会では、四旬節は復活祭の46日前にあたる灰の水曜日に始まる[22][23][24]。カトリック教会では主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサの前までを四旬節とするが[22]、聖公会、ルーテル教会では復活日前日までを四旬節とする[23][24]。復活祭前の一週間は「聖週」「受難週」等と呼ばれ、教会暦の中で非常に重要な位置を占めている。復活祭前の日曜日は枝の主日(復活前主日、棕櫚の主日など)と呼ばれ、重要な主日のひとつとされている[22][24]。 ルーテル教会以外のプロテスタント(改革派教会、メソジスト、バプテストなど)にも、教義又は伝統的に四旬節を取り入れている教派があるが[25][26][27][28]、概して現代のプロテスタントには四旬節をはじめとする教会暦にあまりこだわらない傾向がある。他方、プロテスタント内でも四旬節の意義を見直そうとする意見もある[28]。 正教会においては、大斎(おおものいみ)は復活祭の7週前の主日である断酪の主日(赦罪の主日)の日没後から始まり[29][30]、聖枝祭前日の「ラザリのスボタ」(ラザロの土曜日)の前日金曜日に一応の区切りを迎える[31]。ラザリのスボタ、聖枝祭を経て、受難週がある。それぞれの日を、聖大月曜日、聖大火曜日、聖大水曜日、聖大木曜日、聖大金曜日、聖大スボタと呼び、毎日特別の礼拝を行い、イエスのエルサレム入城から受難を経て復活するまでのそれぞれの日を象り記憶する[32]。大斎期間中には祈りと食事の節制が行われ[33]、喜びと浄化の時とされる[30]。 教会暦の区切りは日没頃にある[34][35]。従って、教会における復活祭の当日は、一般の暦で言う前日晩の「復活徹夜祭」から始まる。 正教会における復活大祭当日における奉神礼は、一般の暦でいう前夜に始まり、夜半課、早課、一時課、聖体礼儀と続けて行われる。夜半課と早課の間には十字行が行われる。夜半課、早課、一時課は構造が通常のものと若干異なる上に、普段は誦経 (正教会)される部分も詠隊によって歌われる聖歌となる。これらの奉神礼の際、「ハリストス復活!」「実に復活!」という挨拶が繰り返し交わされ、パスハの讃詞が繰り返し歌われる。またこの祈祷の最中に、復活の生命を象徴する赤く染められた卵が成聖されて参祷者に配られる[36]。「パスハ (菓子)」および「クリーチ」も参照 カトリック教会では、キリストの受難と復活からなる過越の聖なる3日間
イースター、オスターン
復活祭に連動する教会暦・礼拝・典礼・奉神礼
大斎(四旬節)詳細は「大斎 (正教会)」および「四旬節」を参照
復活祭当日正教会における復活大祭の十字行(ガッチナ)カトリック教会における典礼(エーリンゲン)