復活の日
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小松は「映画に手を出すと角川書店は潰れるぞ」[21]「これが映画に出来るわけがないだろ。映画にならないイメージを小説の形で表現したものだから」と返したが、角川は「必ずします」と譲らなかった[22]。角川春樹は自著でも「映画製作を行うようになったのは『復活の日』がきっかけ」[19][23][24]、「この作品を作ることができれば、映画作りを辞めてもいいと。それくらいの想いがありました」[25]と述べている。

企画開発は1974年に始まる。海外展開を視野に原作を英訳し、ジョン・フランケンハイマー[26]ジョルジ・パン・コストマスらパニック映画の監督にシノプシスを送ったが関心を得られず[27]、角川春樹はヤクザ映画を多く撮ってきたからミスマッチという周囲の猛反対の声を聞かず、深作欣二を監督に起用する[28]。撮影監督には、東宝専属だった木村大作が起用された。小松左京の『日本沈没』を監督した森谷司郎もこの映画をやりたがっていたが、「監督は深作欣二か。大作と合うよ」と、『動乱』『漂流』で起用予定だった木村を送り出した[29]。そのほか、深作のもとで日活と東宝と東映からなる日本人スタッフとカナダ人の混成チームが組まれた[30]。製作費は東京放送(現TBS)からの出資金8億を含めた20億円で、それまでの日本映画で最大の金額となった[12]

キャスティングもジョージ・ケネディオリヴィア・ハッセーら外国人俳優が共演したため、英語の台詞が多用された。
撮影

1978年冬に90日間、5千万円をかけたロケハンを敢行し、撮影には1年以上をかけ、日本国外のロケに費やした日数は200日、移動距離14万km、撮影フィルム25万フィートを数えた。撮影隊はアメリカ大陸の北はアラスカから南はチリまで移動し、マチュ・ピチュ遺跡でも撮影を行った。

35mmムービーカメラで南極大陸を撮影したのは、この映画が世界初である。南極ロケについては40日をかけ、それだけで6億円の予算がかかった[11][31]。当初は、日本の北海道ロケで済まそうという話もあったが、木村大作はそれなら降りると主張し、深作欣二のこだわりもあって、南極ロケが実施された[16][32]。小松も当初、角川から「南極シーンのロケは、グリーンランドアラスカでおこなう予定だが」と聞かされたが、小松は「南極は観光で行けるんだよ」として「深作さんとカメラマンだけでいいから、本物の南極のイメージをとらえておいてほしい」と意見し、「イメージハンティングが本格的なロケハンになって驚いた」という[33]

南極ロケでは、チリ海軍から本物の潜水艦シンプソン哨戒艦ピロート・パルドをチャーターした[34]。1979年12月末、撮影スタッフや観光ツアー客の住まいとなった耐氷客船リンドブラッド・エクスプローラー号(英語版)が座礁・浸水し、チリ海軍に乗員が救出されるという事故が発生した[34]共同通信の記者が乗り込んでいたことから一般ニュースとして日本で報道され[35]、『ニューヨーク・タイムズ』の1面でも報じられるなど、話題には事欠かなかった[36][37]。世界各地の様子を知るため、昭和基地アマチュア無線で情報収集をする様子が描かれている。

壮大なスケールの原作の映像化にふさわしく、当初は14億円から15億円の予定だった製作費は、南極ロケによって18億円に達した後、最終的には25億円に達した[16]
反響・評価

1980年の邦画興行成績では黒澤明監督作品『影武者』に次ぐ24億円の配給収入[38]を記録するヒット作となるものの、製作費が巨額だったため、宣伝費などを勘案すると赤字であったとされる。本作がきっかけとなり、角川映画は1970年代の大作志向から、1980年代薬師丸ひろ子ら角川春樹事務所の所属俳優が主演するアイドル路線のプログラムピクチャーに転換した[39][40][41]。アメリカ人スタッフによる編集で海外版を制作したものの、海外セールスは好調とはいかなかったとされる。角川は海外展開が失敗した理由に、物語が日本人視点で描かれ、日本的な情緒やウェットなキャラクターが通用しなかったことや、日本人俳優の英語レベルの低さ、海外展開を仲介したブローカーに収益の全てを持っていかれたこと等を挙げている[14]

角川春樹は「配収は自分が予想したよりも全然少なかった。それに海外マーケットが成立しませんでした」「自分の夢は一旦成立し、これで勝負は終わったんだと。ここから先は、利益を上げる映画作りへシフトしようと考え方を変えたんです」と振り返っている[42]

これまでに『日本沈没』『エスパイ』などが映画化されている小松は本作を非常に気に入っており、自作の映画化作品で一番好きだという[43][44]。深作ファンだった井筒和幸は作品の出来に落胆し[45]押井守は「小松左京は『日本沈没』を除けば映画化に恵まれなかった」との感想を述べている[46]

福山雅治は小中学生の頃夢中で観て、今でも忘れられない作品となったひとつに映画『復活の日』を挙げており、「何回も観に行くほど好きでしたね。SF小説の大家である小松左京さんの原作で、草刈正雄さんが主演でした。(中略)子供ながらに震えるような興奮があったのを覚えていますね。正直怖かったんですよ、ものすごいリアリティのあるストーリーだったんで。でも怖いからこそ観たいっていう気持ちが強かったですね」と答えている。(TOKYO FM「福のラジオ」2022年9月24日(土)放送より)[47]

角川と共同製作したTBSは、1980年4月から放送した連続テレビドラマ『港町純情シネマ』の第10回「復活の日」(1980年6月27日放送)で、西田敏行演じる映写技師が本作の場面を流すタイアップを行なった。放送日は映画公開前日だった。

2011年3月16日と3月20日にV☆パラダイスで放送予定していたが、直前に起こった東日本大震災への考慮で放送中止となった。

2012年に「角川ブルーレイ・コレクション」の一作品としてBD化され、2016年に木村大作の監修によるデジタル修復4K解像度で行われた後、2017年には4K UHD Blu-rayも発売された。
受賞歴など

キネマ旬報ベスト・テン 読者ベスト・テン 3位

ブルーリボン賞 ベストテン

優秀映画鑑賞会ベストテン 8位

シティロード 読者選出ベストテン

文化庁優秀映画製作奨励金交付作品

毎日映画コンクール

日本映画優秀賞

録音賞(紅谷愃一)


第4回日本アカデミー賞

最優秀録音賞(紅谷愃一)

優秀監督賞(深作欣二)

優秀音楽賞(羽田健太郎)

優秀撮影賞(木村大作)

優秀照明賞(望月英樹)

優秀美術賞(横尾嘉良)


脚注[脚注の使い方]
注釈^ 小松は題名を考えずに小説を書く。


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