道長が『御堂関白記』を記した契機として「子供に対する意識」があったためであったという[5]。
文法の乱れによる解釈から、戦前には黒板勝美らが、摂関政治は天皇家に代わって国政の全般を掌握していたとする政所政治説を唱えていたが、現在は『日記』の内容から政所の下文や御教書は摂関家内部の私的な通達に過ぎないとされ、否定されている。
脚注[脚注の使い方]^ a b 倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』上巻、「はじめに」
^ “ ⇒Midokanpakuki: the original handwritten diary of Fujiwara no Michinaga”. ユネスコ. 2013年6月19日閲覧。
^ 例として、「考を定む」という意味では「定考」という語順で「じょうこう」と訓むべきところ、「上皇」に通じることを避けるために「考定」と書いて「こうじょう」と訓む例が多いという(『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』下巻、「あとがき」)。
^ 倉本一宏「史料紹介・『御堂関白記』自筆本の裏に写された『後深心院関白記』」『日本研究』44号掲載、445 - 462頁、2011年。ただし同稿に示された写真には「裏有信尹公」云々と「有」字が見える。
^ 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』下巻、「あとがき」
現代語訳
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』上中下巻(講談社〈講談社学術文庫〉、2009年)
初の現代語訳。
参考文献
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』講談社、2013年(文庫版2023年)。
大津透・池田尚隆編『藤原道長事典』 思文閣出版、2017年。ISBN 9784784218738
読み下し文は国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」で公開されている。
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