得宗
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貞時は自ら政務に勤しむことで得宗専制体制は強化されるが、元寇以後には元寇の戦功に応じた恩賞を受けられず没落する御家人が増加し、執権の地位は有名無実化して、諸国では悪党の活動が活発化する。

また幕府内部では権力を強めようとする得宗と北条氏庶家の対立が激しくなり、嘉元の乱で北条氏庶家の勢力を除くことに失敗した貞時は乱後酒宴に明け暮れて政務を放棄したため、幕府の主導権は北条氏庶家や長崎氏などの御内人等からなる寄合衆に移り、得宗は将軍同様に装飾的存在に祭り上げられ、得宗専制体制は崩壊に向かう[11]

さらに北条高時の時代になると、幕府は内管領長崎円喜・外戚の安達時顕などの寄合によって「形の如く子細なく」(先例に従い形式通りに)運営されるようになっており、高時が主導権を発揮することを求められなかった[12]。北条氏一門を始めとする寄合衆などの一部の御家人が政治・経済的地位を独占していたことに御家人の不満が高まり、畿内では悪党の活動が高まっていたが、先例主義・形式主義に陥っていた幕府はこれに対処できなかった。高時は1331年に長崎親子の排除を画策する(元弘の騒動)が失敗し、結局高時が得宗として政治的な主導権を発揮することもないまま、1333年に御家人の足利高氏新田義貞らによって幕府が倒され、高時は自害し、得宗家も滅亡した。

その後、高時の次男の北条時行南北朝の戦乱の中で捕らえられて処刑されたために、嫡流は断絶した。
北条得宗家邸

後醍醐天皇が北条一族の慰霊の為、1335年足利尊氏に命じ、北条得宗家邸跡に宝戒寺を建立。ここは「小町亭」と呼ばれ、代々の執権が暮らしていた。
備考

時氏以降の得宗当主やその兄弟には、おしなべて短命が多かった。時氏以降の当主では最も長く生きた貞時ですら41歳で没したほか、31歳で自害した最後の当主・高時も病弱であった。得宗家の当主は、同じ北条氏や外戚である
安達氏から室を迎えることが多く、そういった近親婚の積み重ねが歴代当主の短命に影響したという指摘がある[13]

歴代の得宗当主は、本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制していたことが近年の研究で指摘されている(→北条氏#北条氏による一字付与について)。

系図

凡例:数字は得宗家代数、太字は執権経験者、斜字は連署経験者

    時政1                    

                              
                
宗時 義時2 〔時房流〕
時房 政範            

                             
                         
    泰時3 〔名越流
朝時 〔極楽寺流
重時 〔政村流
政村 〔金沢流
実泰 〔伊具流
有時

                          
          
    時氏時実 公義         

                           
           
経時時頼6 〔阿蘇流
時定             

                              
                               
時輔 時宗7 〔宗政流
宗政 宗頼 〔桜田流〕
時厳 宗時 政頼

                         

    貞時8               

                          
     
    高時泰家             

                          
     
    邦時 時行             


脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^ 細川重男・本郷和人「 ⇒北条得宗家成立試論」(『東京大学史料編纂所研究紀要』11号、2001年、9頁)
^ 「得宗」『世界大百科事典 第2版』
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P26-28.
^ 細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社、2011年) 90-95頁
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P17-18.
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P19.
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P18-19.
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P20-26.
^ 呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』講談社〈講談社現代新書〉、2021年、P204・233-234.
^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P19-20.
^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) P132-133
^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) P142-145
^ 奥富敬之『時頼と時宗』(日本放送出版協会、2000年) 156頁

参考文献

細川重男 『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、1999年) ISBN 4-642-02786-6

細川重男 『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4642057165

奥富敬之 『時頼と時宗』(日本放送出版協会、2000年) ISBN 4-14-080549-8

中西豪 「北条得宗家の野望 争乱に終始した仮託の政権」

学習研究社歴史群像』2004年6月号 No.65 p178~p187


細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社〈講談社選書メチエ〉、2011年) ISBN 978-4-06-258494-4










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