朝鮮王朝の申叔舟が創作した『海東諸国紀』には、孝霊天皇の御代に不老不死の薬を求めて日本の紀州に来て、そして崇神天皇の時に死んで神となり、人々に祀られるとある。この記述は、史記において徐福の記事がある始皇帝28年の翌年に、記紀に書かれる孝霊天皇即位72年を機械的に当てはめて説話を集めたものである。孝霊天皇七十二年,泰始皇遣徐福入海求仙,福遂至紀伊州居焉。崇神天皇十七年,是時熊野権現神始現,徐福死而為神,國人至今祭之。 ? 『海東諸國記 日本國紀』 近代の中国には徐福の末裔が天皇であるとか徐福が秦氏の先祖であるという話が創作されていて、「徐福」と「秦氏」は本当は「古代イスライム 1982年、中国において『中華人民共和国地名辞典』編纂の際の調査中、江蘇省連雲港市?楡県金山鎮にある徐阜という村が清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており、徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明した[15]。ただし、1980年代になるまでは、現地の旧家では「明代になって先祖がこの地に移住した」との伝承がなされていたことと、徐福の実在性自体が疑わしいことから、日本からの観光客を狙った村おこしではないかとの指摘がなされている[3]。実際に徐阜村には日本人観光客が多く訪れ、名物「徐福茶」も好評だという。 また徐福が出航したとされる候補地の一つ、慈渓市では2000年3月30日に「徐福記念館」が開館したことを契機に日本の徐福研究者や縁者との交流が始まり、翌2001年秋には慈渓市竜山鎮文宛南路に「徐福小学」が開校した(なお、同校の揮毫は徐福の末裔と主張[16]する日本徐福会
イスラエルの失われた10支族
研究・調査・交流
2008年10月、佐賀市に於いて佐賀・徐福国際シンポジウムが開催された。日本・中国・台湾・韓国から研究者が多数参加し、発表を行なった。吉野ヶ里遺跡との関連についても講演が行なわれた。
関連作品
楽曲
佐藤春夫が作詞した新宮市歌(1951年制定)では、1番に「徐福もこゝに来たりとか」の一節がある。
小説
今野敏の小説『蓬莱』は徐福伝説を扱っている。
丸山天寿の小説『琅邪の鬼』『琅邪の虎』『咸陽の闇』は徐福の弟子たちが古代中国の謎を解くミステリ?シリーズ。
松波太郎の小説『西暦二〇一一』(『LIFE』所収)は熊野地方の徐福伝説と中国の徐福村を扱っている。
京極夏彦の小説『塗仏の宴』は日本における徐福の伝承を扱っている。
漫画
諸星大二郎の短編コミックス『徐福伝説』では徐福の連れていた童子は3000人ではなく男子23人・女子23人の合計46人としている。文庫『暗黒神話』にも収録。
本宮ひろ志の漫画『こううんりゅうすい〈徐福〉』は不老不死となった徐福がその後の歴史を見守っていく。
諏訪緑の漫画『ひすいの国 -徐福と始皇帝 奇伝-』は始皇帝と徐福を題材とした歴史漫画。
原作大間九郎