白河天皇は幼少の堀河天皇に譲位して、上皇として後見を行う院政を開始した[2]。院政の開始によって摂関家の権力はほぼ消滅し、以後、鳥羽、後白河と約100年間に及ぶ院政の時代が続くことになった[2]。 江戸時代末期、江戸幕府は政事総裁職や京都守護職と並ぶ役職として将軍後見職を設置した[3]。
大御所詳細は「大御所 (江戸時代)」を参照
将軍後見職
脚注^ 西東社編集部『図解日本史』西東社、2009年、50頁。
^ a b 西東社編集部『図解日本史』西東社、2009年、74頁。
^ 西東社編集部『図解日本史』西東社、2009年、196頁。
関連項目
後見
摂政
保証人
管財人
クーリングオフ
委任
代父母