後花園天皇
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^ 北朝の祖であり、持明院統の正嫡であった光厳法皇は、南朝の拉致による崇光天皇の皇太弟直仁親王の出家に伴って、改めて崇光上皇を持明院統の正嫡として定めたが、三上皇及び直仁親王幽閉中に急遽即位しかつ皇位の正当性に欠けていた弟の後光厳天皇が、崇光の要求も顧みずに皇子の後円融天皇に皇位継承させ、以後崇光上皇の子孫である伏見宮家は零落を強いられたため。
^ これに関し秦野は、後花園の最側近であった甘露寺親長が徹頭徹尾「後花園院」を推していたことや、高倉継長が当初不適切な「後文徳院」とともに「後花園院」を提出したことから、「後花園院」という追号には後花園自身の意志が表れていると推測している。また、学問に秀でた「花園院」の加後号にすることで、「知性と教養」というメタファーを込めたのだともしている[7]
^ 詩文:残民争採首陽薇 処々閉廬鎖竹扉 詩興吟酸春二月 満城紅緑為誰肥(生存者は首陽山でワラビを求めた伯夷・叔斉のように飢えて、食べられるものを争い採っている 至る所で飯櫃を閉ざし、扉も閉ざしている 春の二月だというのに、詩を吟じるにも痛ましい 都の花や草木は誰のために育っているのだろうか)[9]
^ 後花園は、「後花園院御消息」にて、後土御門に対し伏見宮を尊ぶようにという教訓を残している[19]

出典^ 『後花園天皇』 - コトバンク
^ 秦野 2020, pp. 180, 181.
^ a b c d e f 「後花園天皇」『朝日日本歴史人物事典』
^ 渡邉 2019, pp. 169?171, 178.
^ 『後花園院御消息』
^ 秦野 2020, p. 293.
^ 秦野 2020, pp. 298, 299.
^ 秦野 2020, p. 167.
^ 原文出典 国文学研究資料館
^ 秦野 2020, pp. 17, 18.
^ 石原比位呂「義政期の将軍家と天皇家」『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版、2015年) ISBN 978-4-585-22129-6
^ 秦野 2020, p. 152.
^ 田村 2018, p. 4(1672).
^ 豊永聡美『中世の天皇と音楽』2006,吉川弘文館,pp.136-138,148
^ 村田 1971, p. 336.
^ a b 田村 2018, p. 15(1683).
^ 田村 2018, p. 2-3(1670)-(1671).
^ 田村 2018, p. 5(1673).
^ 田村 2018, p. 14(1682).
^ 『貞常親王御記』康正2年10月条
^ 田村 2018, p. 13(1681).
^ 『天皇と葬儀?日本人の死生観』株式会社新潮社、2013年12月20日。 

参考文献

石原比位呂
「義政期の将軍家と天皇家」『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版、2015年) ISBN 978-4-585-22129-6

秦野裕介『乱世の天皇―観応の擾乱から応仁の乱まで』東京堂出版、2020年。 

渡邉大門『奪われた「三種の神器」―皇位継承の中世史』草思社、2019年。 

田村航「伏見宮貞成親王の尊号宣下」『『史学雑誌』(127編11号)』2018年。 

村田正志『南北朝史論』中央公論社、1971年。 

井上亮「天皇と葬儀ー日本人の生死観」2013年。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、後花園天皇に関連するカテゴリがあります。ウィキクォートに後花園天皇に関する引用句集があります。

椿葉記

花園天皇

光厳天皇

後花園天皇 皇室

1419年7月10日 -1471年1月18日
日本の皇室
先代
称光天皇
(実仁)皇位
第102代天皇
1428-09-07 - 1464-08-21
正長元年7月28日 - 寛正5年7月19日次代
後土御門天皇
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