後楽園
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1691年(元禄4年):10月、御茶屋(後の延養亭)が完成。その後も園内各所に御茶屋・小座敷を整備。

1694年(元禄7年):2月、騎射亭の完成。

1695年(元禄8年):11月、渕明堂の完成。このころには「御後園」と呼ばれていたとされる。

1696年(元禄9年):1月、濂渓堂(廉池軒)が完成。2月、観騎亭の完成。

1697年(元禄10年):7月、御舞台の完成。9月、観音堂(慈眼堂)建立遷座。

1698年(元禄11年):1月、水害により損害を受けた延養亭を再建。地蔵堂と境沢(沢の池)の中島に弁財天堂を建立。

1699年(元禄12年):観音堂および仁王門の完成。延養亭と長屋の建て直し。

1700年(元禄13年):御後園が一応完成する。

1707年宝永4年):能舞台が完成。

1716年享保元年 :現存する御後園の絵図「御茶屋御絵図」が作成される。

1732年(享保17年):池田継政が2代目能舞台を造る。

1743年寛保3年):この頃までに唯心山およびひょうたん池が完成。

1771年明和8年):池田治政により園内の田畑が芝生に変えられる。

1863年文久3年):この頃までに砂利島が半島から島になり、現在の姿になる。

1871年明治4年):池田章政、御後園を「後楽園」と改める。2月7日に一般公開。7月14日に池田家が移住。

1884年(明治17年): 池田家から岡山県の所有となり一般に公開。

1922年大正11年):名勝に指定される。

1930年昭和5年)

出石町との間に架かる鶴見橋完成。

11月:県内で陸軍特別大演習が開かれる。後楽園に大本営が設けられ、昭和天皇の行在所(宿泊所)となる[3]


1934年(昭和9年):室戸台風で被害。[4]

1945年(昭和20年):太平洋戦争時、岡山市が空襲を受けた際に岡山城天守とともに園内の建物も焼失した。

1947年(昭和22年):この頃まで 進駐軍の宿舎として使用される。

1949年(昭和24年):再び岡山県の所有となり、鶴鳴館を山口県岩国市の吉川邸から移築。

1952年(昭和27年):文化財保護法により国の特別名勝に指定される。茂松庵を復元。

1954年(昭和29年):6月1日から一般公開が有料になる。

1956年(昭和31年):かつて岡山に遊学した中国政治家郭沫若より2羽のタンチョウヅルを贈られた。これ以降も鶴の飼育が続けられ、元日には園内に放つイベントが催されている。「岡山県自然保護センター」も参照

1958年(昭和33年):能舞台を復元。

1960年(昭和35年):延養亭が再建。

1967年(昭和42年):園内の全ての建物が復元される。

2000年平成12年):築庭300周年を迎える。

2015年(平成27年):岡山県スマートフォン向け無料アプリ「岡山後楽園ナビ」の提供を始める[5][6]

施設

慈眼堂 :
池田綱政の建立。

御野島 : 釣殿がある。

中の島 : 島茶屋がある。

流店 : 建物内に水路がある休憩所。

唯心山

地蔵堂

茂松庵

大立石

栄唱橋

延養亭

平四郎の松

鶴鳴館 : 能舞台を備える。


慈眼堂

御野島と釣殿

流店

茂松庵

大立石

栄唱橋

延養亭

平四郎の松

茶畑

花交の池

延養亭の軒先に咲くサツキ

津田永忠遺績之碑

交通アクセス

西日本旅客鉄道岡山駅前から

路面電車

岡山電気軌道東山本線(1系統)に乗車、城下電停にて下車、徒歩10分。
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