60 醍醐天皇
61 朱雀天皇 62 村上天皇 兼明親王 源高明
広平親王 63 冷泉天皇 致平親王 為平親王 64 円融天皇 昭平親王 具平親王
65 花山天皇 67 三条天皇 66 一条天皇 源師房
〔村上源氏へ〕
敦明親王
(小一条院) 禎子内親王
(陽明門院) 68 後一条天皇 69 後朱雀天皇
70 後冷泉天皇
後冷泉天皇は三后並立の唯一の例である。後の鳥羽天皇や二条天皇、後堀河天皇にも中宮・皇后となった后妃が3人いたが、同時期に3人の后が並立したのは後冷泉天皇が唯一である。
初めに立后されたのは東宮時代からの妃であった章子(父方、母方のいずれから見てもいとこ)で、父母をうしなった章子の後見人をつとめる上東門院の意志という。次いで関白頼通の娘の寛子が立后されたが、寛子立后にあたり、通常ならば先立の中宮である章子を皇后宮、寛子を中宮とするところを、章子の希望で章子は中宮のまま留め置かれ、寛子が皇后宮とされた。その後、崩御の直前に頼通の致仕により教通が関白となり、天皇の意志で教通の娘の歓子が立后されたが、歓子立后にあたっては中宮章子が皇太后、皇后宮寛子が中宮とされ、歓子は皇后宮とされた。その後、後三条天皇の后の馨子内親王の立后にあたって、章子が太皇太后、寛子が皇太后、歓子は皇后宮のままとされ、新立の馨子が中宮となり、通例に戻された。 陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市右京区竜安寺朱山の龍安寺内にある圓教寺陵(円教寺陵:えんきょうじのみささぎ)に治定されている。
在位中の元号
寛徳(1044年 - 1046年)
永承(1046年 - 1053年)
天喜(1053年 - 1058年)
康平(1058年 - 1065年)
治暦(1065年 - 1069年)
陵・霊廟