後三国時代
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今定有天下之號曰『大韓』,未爲不可。…舜澤曰:「自三代以來,有天下之號,未有承襲于前者矣。而朝鮮乃箕子舊封之號也,堂堂帝國,不宜因仍其號矣。且大韓之號,稽之帝統之國,無襲舊者矣。聖旨切當,無敢贊辭矣。」

お上(高宗)が言うには「我が国は三韓の地であるが、国の初め(李成桂の李朝樹立時)に天命を受けて一つの国に統合された。今、国号を『大韓』に定めては為らぬことは無い。」…舜澤(摂政の沈舜澤)が言うには「三代以来、国号は以前のものを踏襲した例がありません。ところで、朝鮮箕子がかつて(武王から)封じられた時の称号であるので、堂々とした皇帝の国として、その称号(朝鮮)をそのまま使うのは正しくありません。『大韓』の称号は、皇帝の系統を継いでいる国で考えますと、古き者から踏襲したものではありません。聖上(高宗)の仰られることは極めて当然のことで、あえて付け加えるような言葉はございません。」 ? 高宗実録、巻三十六中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。朝鮮王朝實?/高宗實?/三十四年#10月11日
関連項目

朴彦昌

後沙伐

三国史記

三国遺事

先代
統一新羅時代朝鮮の歴史
892年 - 936年次代
高麗


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