征夷副将軍
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義昭が信長によって京都を追放され、備後国にて毛利氏の庇護に入ると、義昭は毛利輝元を副将軍に任じ[2]、鞆において幕府の再建を目指した。また、輝元は副将軍として義昭を庇護することにより、毛利軍を公儀の軍隊の中核として位置づけ、西国の諸大名の上位に君臨する正統性を確保した[3]

しかし、信長は明智光秀の謀叛に倒れるものの、天下は豊臣秀吉の手に移り、幕府の再興はならなかった。
江戸時代における副将軍

豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府が開かれたが、幕府内に「副将軍」という役職はなく、江戸時代において副将軍が任ぜられることは一度もなかった。

しかし、徳川御三家の一角である水戸藩主は天下の副将軍または水戸の副将軍と称されることが多い。これは、水戸藩主の地位が他の大名と違って、参勤交代せずに常に江戸に留まる定府が義務付けられていたこと、将軍の補佐役としての色彩が強かったことなどから、そのように呼ばれるようになったとされる。

つまるところ、「副将軍」とは水戸藩主に対して与えられた正式な呼称ではなく、上記のような事実から付いた俗称である。水戸藩主はそうした色彩の強い立場ではあったため、幕府もこの俗称を半ば黙認し、例えば江戸市中の講談師が徳川光圀を「天下の副将軍」と語っても、何ら取り締まりをしなかったという。

いずれにせよ、当の水戸徳川家の出身である徳川慶喜により大政奉還がなされ、江戸幕府、武家政権そのものが終焉を迎えたことで、副将軍の職および呼称は完全に消滅したといってよい。
現代のフィクションにおける「副将軍」

御三家の一つ水戸徳川家の当主が「天下の副将軍」と称されたことを元に、徳川光圀の諸国漫遊の旅を描いた時代劇水戸黄門」では光圀を「天下の副将軍」「前(さき)の副将軍」(水戸藩主の地位を譲って隠居の身であるので)として描いている。

このドラマの人気が、徳川光圀=天下の副将軍という認識が定着する要因となっており、正式に副将軍に任ぜられた、あるいは江戸幕府の公式な役職として副将軍が設置されていたという誤解を生んでいる。現在、水戸藩の旧領地であった水戸市をはじめとする茨城県内各市町村においては、光圀にちなんで「副将軍」と称する地酒や産物を販売しており、「水戸の副将軍」という呼称はひとつのブランドとしても用いられている。

また山岡荘八の小説『伊達政宗』およびこれを原作とするNHK大河ドラマ独眼竜政宗』では、伊達政宗が将軍徳川秀忠に対する御意見番の意味で「天下の副将軍」と呼称されている。
脚注^言継卿記」永禄12年3月2日条では、「一、自禁裏織田弾正忠所へ為御使萬里小路大納言、広橋右小弁兼勝〈各衣冠〉罷向、被仰副将軍事、御返事不申云々」と記されている。
^ 天正10年(1582年)2月に吉川経安が子孫に書き残した置文「石見吉川家文書」では、「毛利右馬頭大江輝元朝臣副将軍を給り」と記されている。
^ 久野雅司 2017, p. 185.

参考文献

久野雅司『足利義昭と織田信長 傀儡政権の虚像』戒光祥出版〈中世武士選書40〉、2017年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4864032599。 

関連項目

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