彦根市
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彦根ばやしが作られる(井伊直弼による日本開国百周年記念事業の一環として制作された[注 4])
11月:市街地西部地域で上水道給水を開始(市内初の整備)[広報 22]。
1961年(昭和36年):国民宿舎「湖城荘」の開業[広報 19]([いつ?]、廃業)。
花の生涯記念碑
(彦根城金亀児童公園)
1964年(昭和39年)
4月12日:東海道新幹線、および、名神高速道路が開通し、彦根インターチェンジが供用開始。
『花の生涯』の原作者・舟橋聖一に名誉市民の称号が送られ[広報 19]、金亀町に花の生涯記念碑が建立される。cf. 1952.
1966年(昭和41年)
1月:滋賀興産が野沢石綿セメント(旧・小野田セメント製造)の彦根工場を継承し、営業を開始。
4月:滋賀興産が住友セメント(現・住友大阪セメント)に吸収合併される。
8月15日:高松市(香川県)と「姉妹城都市」提携を締結(彦根城と高松城が姉妹城の関係を結ぶ)。
1968年(昭和43年)10月29日:水戸市(茨城県)と親善都市提携を締結。
1969年(昭和44年)
8月7日:佐野市(栃木県)と親善都市盟約を締結。
アナーバー市(アメリカ合衆国ミシガン州)と姉妹都市盟約を締結。
1970年(昭和45年)9月2日:金剛寺町内に航空自衛隊機(MU-2S)が墜落。乗員4人が死亡、民家2軒が全焼[22]。
1972年(昭和47年):現在の彦根市庁舎が完成[広報 19]。
1974年(昭和49年):皇太子明仁親王と美智子妃(後の明仁上皇と上皇后美智子)が来訪[広報 19]。
1975年(昭和50年)
2月11日:市の木を「たちばな」、市の花を「はなしょうぶ」に制定。
昭和天皇と香淳皇后が来訪[広報 19]。
彦根仏壇が通商産業大臣指定伝統的工芸品(現・経済産業大臣指定伝統的工芸品)に指定される(仏壇仏具業界初)。
1975年(昭和50年)頃:この時期以降、松食虫被害(マツ材線虫病)の蔓延によって千々の松原(松原水泳場)の松が数多く枯れてゆき、並木の規模が大きく縮小する[23]。
1980年(昭和55年)7月19日:第4回鳥人間コンテスト選手権大会が、会場を第3回までの近江八幡市・宮ヶ浜水泳場等から彦根市・松原水泳場に移して開催される。以後、開催地は松原水泳場で定着。
1981年(昭和56年)6月30日:日本国有鉄道(国鉄。JRの前身)東海道本線の彦根駅-河瀬駅間で、南彦根駅が新設開業。
1983年(昭和58年):彦根青年会議所(彦根JC)が「彦根かるた」を刊行[広報 23]。
1985年(昭和60年)
3月14日 - 新快速が彦根駅まで乗り入れを開始[24]。
3月:彦根市西今町563番地(旧・犬上郡十王村)の湧水「十王村の水」が環境庁(現・環境省)の「名水百選」(昭和の名水百選)に入選する[広報 12]。
1986年(昭和61年)
11月1日:新快速が彦根駅までの延長運転を開始[25]。国鉄彦根駅での貨物取扱を廃止[26]。
11月3日:「湖東焼復興推進協議会」が復興湖東焼の窯に火入れして試作が開始される[27]。
1987年(昭和62年)
2月12日:彦根城博物館が開館[28](彦根城表御殿の外観を復元[29])。
3月21日:JR彦根駅前に井伊直政の騎馬像(井伊直政公像)が建立される[30][広報 24]。
3月28日[31][32] - 5月31日[33]:「'87世界古城博覧会」の開催[33]。
1988年(昭和63年)3月12日:近江鉄道の貨物輸送が廃止される。また、これに伴い、日本貨物鉄道と近江鉄道の貨物連絡運輸が廃止される。
平成時代
1990年(平成2年)9月14日:ミシガン州立大学連合日本センターが、彦根市松原町にて竣工・開所する[34][35][36][注 5]。
1991年(平成3年)
中山道中は磨針峠(すりばちとうげ)の立場茶屋「望湖堂」であった建物は往時の姿をよく留めていたが、この年、多数の史料と共に焼失する。
11月1日:湘潭市(中華人民共和国湖南省)と友好都市盟約を締結[39]。
1992年(平成4年)
3月25日:彦根総合地方卸売市場が新市場に移転・開業[40]。
4月:彦根城がユネスコ世界遺産の暫定リストに記載[41][広報 26]。
1995年(平成7年)
1月17日:阪神淡路大震災が発生し、市内で震度5の揺れを観測した[42]。
4月:彦根市八坂町に滋賀県立大学が開学[43]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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